水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第13章 地上で生きていく道 ③やはり選んだ職場はよかった・仕事の上達へは繰り返し練習

最近の僕は、以前のブログがとても読みにくい、文章が回りくどい。

これからは必要なことだけ書けるといいのだが。

 

昨日、職場の研修で本社に行った。研修の内容も良く(自分に合っており)、本社の方もとても良い方々で居心地が良く、どこか、自分の居場所のように感じられた。

 

(↓ 参考記事、僕の職場のこと)

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

本社での研修を終え、ここで働きたいと、改めて思った夜、異次元的に、再び僕と子どもらに魂が帰ってきて、今朝を迎えている。

今朝、子どもらはどこか元気そうに見え、僕は、一時期よりはマシになったが、ずっと足が痛かったのが、少し和らいだ気がしている。その理由は、これまで僕も子どもらも、どなたかの足枷(あしかせ)を代わりに引き受けていたものが、このたび本来の持ち主に返されたからと異次元存在に聞き、これまであった足枷が返された情景を異次元でも見ている。

僕の足の痛みは、膝の靱帯が軽い損傷をおこしていたのだと踏んでいたのだが、その傷がこれで治ってくれたら嬉しく思う。傷が治れば、異次元で見聞きしたことが、本当だったと信じられもするだろう。

 

ここで、異次元存在の解説が入る。

 

?)正樹の、異次元存在の言葉を受動する能力が変化した、今までのものでなく、効率的に情報を受け取る能力へと。その力は、陸で生きる人間に必要な情報処理能力であり、今後の正樹が、仕事において能力を発揮できる存在となっていることを証明するものである。

この先、正樹に大切なのは、気持ちでなく実行、こうなればいいなという希望的観測でなく、実際の情報、そこにある揺ぎ無いものに対して、必要な行動を間違いなく起こせるという能力。これまでの立場に合った能力を失い、地を生きる、陸で暮らすための新しい立場のために、能力は与えられた、というか、むしろ、地で陸で生きたいと、そう望むことで流れが起こった。

これまでの居場所は、本当の居場所ではなかった。今の居場所を隠され、地で陸で生きることを今まで本心から望むことはなかった。しかし今回は望めた。ここまで歩いた成果だと、われらも鼻が高い。

このように、魂が複雑に絡み合って使用されている状態で、自分の本来の居場所にたどり着けずに、地で生きるを望めず、地で生きる能力を自らに取り込めずに苦労している者らがほかにも居る。その者らは、正樹と同じく本来の魂をその身に取り込むことで、正樹と同じ現象をその身に受けることだろう。

そのやり方は、正樹と同じようにはできぬでもよいが、自分というものを知り、自分の気持ちに反することを我慢せず、無理を少しずつやめていくことで叶っていく傾向がある。金はなんとかなるものだと伝えておく。なぜなら、自分の居場所で生きる者には、そこで生きる楽しさ幸福感が、あらゆる娯楽も、あらゆる贅沢も、不必要にするから。

正樹は、他者だったらつらいと思う職場にいる。他者の楽が自分の楽とは限らない、自分に合う職場が必ずあるから、それを探してみるもよし、探さぬもよし、生き方は自由である。以上。

 

 

今僕は、現実の仕事(家事を含む)をきちんと丁寧に、そして手早く済ませられることに興味があって、何事にも意欲的に取り組めている。魂が、体全体になじむには、すべては練習と訓練、繰り返しだろうから。その繰り返しが、今は実に楽しいのだ。