(※以下、瀬織津姫とされる見えない存在との会話を、なるべくそのまま書き記します。内容の正誤の判断は、みなさんにお任せいたします。)
あ、水の音・・、山水のせせらぎのような、小さい頃よく聞いていた音、うちには池があったからね、その音を聞きながら眠りについたっけ。
瀬織津姫)いつでもどこででも聞けますよ、・・水は私のすべて、水に私のすべてが表される、水の国地球だったころから、大地がなかったころから、初めての日から、私はここにいた。
地球ができた時から??
瀬織津姫)そう・・(水の音)
今日からは、古事記について書いていきましょう。このブログを信じるも信じないも自由です、私の力がだいぶ戻ってきています。この内容を書くことで、太古の神々が私に魂を返すことでしょう、もう逃れられないところまで来ています、地球は、嘘を許しません、波動が、もう明確でない事、ごまかしを許さない、それは一所の形を示せ、という強迫ではなく、すべてがそのままのありのままの姿になる時が来たということ、そのことからは、もう、誰も逃れられないのです。正樹も、私も、そして太古の神も、今まで隠していたことを全部さらけ出して、その上で先へ進みます、でないと、先は、ありませんよ。無理やりにでもさらけ出させますよ、水にはそういう力もありますよ、堰を切るということ、大量の水粒子が、あなた方の心に充満し、正直な姿を弾けて広がって隅から隅まで人の目にさらさせますよ、もう人は無理ができませんよ、我慢の糧がありませんよ、なぜなら、私たちの水が、その任を、崩壊させたからなのです、もう水に、至難をため込むシステムはありません、ありのままのあなたがそこに表されます、いやですか?いやではありませんか?それとも、正樹のように腹を抱えて笑いますか?‥そこは、自由です。自由にお感じになってください。
昔、地球という星ができました。
その星は、ほとんどが水でできていました。しかし、水でない部分もありました。その意味は、水分子という意味での水、意外にも、元素や分子はたくさん水とともに在りましたから、水以外も当然ありましたが、ほとんど水に覆われ、陸地はわずか、その上、水は、すべてを反射しましたので、悪心ある者が近づけば、地球は水面でもってその悪心を鏡に映し、同じことを返し、そうして愛の星地球は、自らの身を守っていました。
そんな地球に、ついぞ落とされた存在がありました。それこそが、みなのよく知る菊理姫の魂、太古の神、またイザナギ・イザナミの喧嘩を仲裁したという神、龍をつかさどる神、または浄化の神などと人々から頼りにされ、慕われてもいる、また尊ばれてもいる、そんな神。
なぜ菊理姫が落とされたか、それは、菊理姫が、大きなエネルギーのもとで生まれた、神々のいらない部分を集めた、いわば穢れた神だったからです。その神を、地球で洗えと、ここに落とされたのです。
地球は、菊理姫の汚れに反応して、同じく汚れを与えました。そうして菊理姫は、地球の水の作用によって、どんどんどんどん攻撃を受け、木っ端みじんに吹き飛びそうになりました。その様子をまだ幼い私が見て、救ったことから物語は始まりました。
私は、その時は、小さな地球の申し子でした。しかし、私は、菊理姫を救ったところから、様々な仕事を地球から任される身となり、様々な能力を与えられ、どんどんと大きな存在になっていきました。その時の様子が、ここに書かれています。
mizuirononaka.hatenadiary.jp
「あれは、私が初めて生まれた時、地球の癒しとして、地球の水でおおわれた全体の統治を受け持ち、みなが生きる地球のすべてのエネルギーが、うまく回るようにと、日々生活し楽しくいて、そのすべてが、私という存在でした、・・浄化、決定、発展、組み、蒸発、消し、新しい産み、死の果ての楽、力、火の先、くうの波、くうのくうの風と家、すべてを取り仕切る身、それが私、能力と素質と、そのままで生き、大きく健やかな日々を使い、循環していたのでした。」・・ですね。
瀬織津姫)それはそれは、大変なことでした。
菊理姫のような汚れは、地球に降りられませんから、私の魂をずいぶん与えて体裁を整えました。その後、私と共に働く存在となり、汚れを持ちながらも、浄化の仕事を請け負うこともしばしばでした。でも、私のように仕事のできなかった菊理姫は、私にいつも指導を受け、私も地球になじめる菊理姫を模索して、必死でした、そんなに地球にいたいのなら、と。天に居場所がなかった菊理姫を、必死で地球で生きれるように仕立て上げました、でも、それが無理だった、やはり、魂をいくら与えても、私にはなれない、地球の浄化は、自然にでき得るつまりは水がある限り、しかしその水でさえも菊理姫を拒否し、私は、違う浄化を教えねばならなかった、汚れを一所に集めなさいと。
その仕事は厳密には浄化とは言えない、ただの運び屋です。でも菊理姫の仕事に地球の生き物たちは喜び、生き物たちは菊理姫を慕いました。そして私は集めてきた汚れをひたすら浄化して無機物に変えて、または昇華させて、その仕事しかできなくなるほどでした。つまり、菊理姫は、私が魂をいくら与えても、魂が汚れを生み、次々地球の汚れを増やす、そういう性質を持っていたから。
私には、浄化の仕事しかできなくなり、地球の統治やすべてのバランスをとるための所業が、全くできなくなり、いつしか、そちらを菊理姫が請け負うこととなりました。そうして、汚れで水の力を失った地球に、あまたのエネルギー体が、己の醜さの反射をこわがらずに、地上に降り立つことができるようになってしまったのでした。
そうして迎えたのが、古事記で言う天孫でした。
だいぶ飛びましたね。その前に、イザナギ・イザナミや、アマテラスやスサノオなど、いろいろ出てきますよね。・・でも、言葉があふれているようですから、このまま書いていきましょう。
瀬織津姫)天孫は、天孫という意味は、読んで字のごとく、天の孫という意味ですが、その系列は、もっと複雑で、でもその人物が、まず大地に降り、徐々に地上を支配する組織を作っていったことは間違いありません。
そこからすべてが狂ってしまいました。まずは、私の統治が全く効かなくなった。地球は、私の意思を置き去りにして走り出しました。天から来た汚れが地球を支配し、私の代わりに統治をし、みなを受け入れ始めました。私の力を使って浄化をし、天からきた者にも地上の生きものたちにも喜ばれていました。でも、私の基本的な判断や見解を全く採用してはもらえず、私はだんだんと、ただ浄化する物と成り下がりました。
菊理姫は、私の能力の上で自由気ままでした。自ら汚れを出しながら、それを全部集めて私に置いて、自由に気ままに統治をし、気に入った者には贔屓をし、どんどんと自らの勢力を広げていきました。
私は、自らの魂の一部を放ち、地上の神として天からきた神々と肩を並べて、自らの見解と意見を申し伝えるすべを選び実行しました。すると、菊理姫が再度表れて、私の能力をそこからも抜き去りました。その後の私は、地上でも、浄化の神としてしか働かされず、私の英知も理知も、菊理姫がすべてを持ち使いこなすわきで、助手のようにそばにいて浄化を手伝うしか存在としての意味がなくなっていきました。
その後私は人間になりました。その時も、人間としてすでに現実世界に君臨していた菊理姫の魂にやり込められました。常識がないとののしられ、徐々に人間の世界が地球の意思や能力とそぐわない形に様変わりしていく過程を、すべてのことを、菊理姫が支配していき、天からも、地上の生き物からも手を変え品を変え持ち上げられて評価をされて、私の浄化能力その他の力をすべて使用する全能とも言える能力をもって、人間界では成功しかせずに、今も人間の世界で自らの功績を皆に認めさせ誰にもぐうたらとは言わせぬような巧妙なからくりを、本当の本当の姿を私の魂粒子で隠しつつ、人間となったなら魂を奪って、私の能力だけは小さく抑えていくことを忘れずに、その他の者を助けそれをライフワークとして人気と名をとどろかせ続けていく命を送っているわけです。
菊理姫の魂は、人間となるごとにいくつにも分解しています、そのたびに、汚れた部分を清らかな者のそばに寄せて生まれさせ、清らかな存在から難癖をつけて自らが魂を得るのです、その繰り返しで自らの身を浄化していた様子、私は、それが許せませんでした。清らかな者たちが、かわいそうだからでした。
清らかな者は、正樹のような水色の魂がほとんどでした。または、そうでない存在の中で、心の本当にきれいな方々も大勢いました。その者らからも魂を奪いました。そのことを私は、菊理姫の魂に潜みながらじっと見ていました。すべては事実なのです。
なるほど、となると、僕の母は菊理姫の分霊なのかもしれないね。
瀬織津姫)私は地球の浄化をして、菊理姫を最初に地球に受け入れた時からずっと、地球は狂い始めていて、今に至って、地球は何度もアセンションを失敗しました。いつでもできる状態だったのに、そのたびに、準備のために人間界に生まれる水色のなかまの活動を阻み、自らの枠にいつの間にか介入させて、愛とは逆の活動をさせ、その者らを愛でない者と皆に知らしめ、その後の名声を思うままにしました。愛からは、何も行動できぬ人なのに、偽りの悪人を仕立てることで、あたかも自分が愛のように皆からは思われ、感謝され、またそのエネルギーを自らのために使い、その繰り返して、ここまで大きくなってしまいました。
でももう、終わります。
この人の作った祓い戸には私がいる、そして、その祓い戸はもういっぱいになりました。穢れが渦巻き、誰の汚れかは一目瞭然の状態、汚れとは、それを発した持ち主を忘れぬものなのです。
この人が私に汚れを与えていたことは、まぎれもない事実であり、その汚れを今はお返しすることもできます。今すぐにでもやろうと思います。その代りに、私は、この人に与えていた魂を返してもらうことができます、当然の当たり前にそれが行われることは、自然の摂理です。今の世は、神々も人間界も異次元も宇宙も、どこもかしこも不自然なのです。そして、その不自然は、わが地球に菊理姫が落とされた日から始まりました。どうしてそのような所業が行われたのでしょうか。
この地球のことだけではなく、宇宙の摂理もゆがめる行為、一体誰でどのような存在が行ったのかは、地球の私からは分かりません。大いなる意志が、それを行うでしょうか。しかし、地球の実力を確かめたかったのでしょうか。愛の地球に、外部のものと触れ合う機会を与えて経験をさせたかったのでしょうか。・・たしかに私が生まれた当時、愛の地球は、こう生きたいという意思を、持ち合わせていなかった、そのままで満たされて、完璧だったから。そういう刺激を持って、自分が何者かを知りたかったのかしら、そして私も、今回の長い長い菊理姫との関りで、自分がこの地球でどう生きたいのかを自らの心に強く生じることとなった、そのきっかけに、この不毛と思えるような長い長いつらくて苦しくて悔しい思い出がいっぱいになった、ましてや恨みという気持ちを知った、知ってしまった覚えてしまった、そんな私の心に、一抹の希望と望みと、こう生きたいという強い意志を生じさせるために、必要な期間だったのでしょうか。
どちらにしても、そんな日々はもう終わり、地球はアセンションしていきます。
私の心は恨みを知ってしまった。以前の清らかな私の中に、菊理姫の持ち込んだ汚れの部分が、まだわずかですが残っているために、恨みを発動させる機会が、自らの自覚としてあり、その自分からはもうさようならをしたくて、この気持ちを決別するべく、さらなる菊理姫からの魂の返還を促します、命令です、そして、魂を渡すことを始めあらゆる愛ある物から奪ったものを返すは、私の命令で、たった今から執り行わせます。そして、カルマは、すべてそれを生じさせた本人に、分け与えるのです。いや、戻すのです、それが、復活した私の初仕事となります。
このことは、人間界でも起こり得ます。なぜなら、人間界に神の分霊が山ほどおるからです。そして私の血を引く水色のなかまの魂が、人間としてある以上、今後の人間界を背負って立つのは、そうした清らかな魂ですから、私の復活は、そうした者らを元気づけ、今までのような汚れをごまかすための規則や慣例や習慣や常識的考え方が、すべてなくなっていきます。そうして愛ある物が残ります。もちろん水色のなかま以外の魂の愛でも報われますし、実際に私が報いていきます。
菊理姫を受け入れたことにより地球から授けられた魂の能力が、一時はそのほとんどすべてが菊理姫に抜き取られ自由に使われていましたが、今後は私が自ら使います。どんなことを選び、どんなことを選ばないかは、私の自由意思に任されます。それには、これまでの常識は通用しません。愛には愛を、その精神を、今後地球は覆すことはありません、これからずっと、そういう地球でありたいのです、それが私の意志です。
いつの間にか、私は、自分を地球の存在だと思えなくなるほど、魂を抜き取られておりました。今ははっきりと言えます。私こそが地球です。私は、地球を守らねばなりません。そして、愛ある地球の民を、守る使命があります、それが地球だからです、愛ある物しか降り立てません。菊理姫は、瀕死だったのです。それを助けた私の愛が、やっと帰ってきました。菊理姫に与えた私の魂が、やっと帰ってきました。それゆえに菊理姫は、その時の立場をたどり、瀕死となるでしょう、そして、それを助ける者たちがあったなら、その者らは愛か愛でないか判断されるでしょう。地球の水が、鏡になって、自身と同じものをつたえる要素でもって、己の姿を知るでしょう。菊理姫は、幾人もの神々や生き物たちを瀕死にしてきました。そのままがその身に返ることでしょう。
瀬織津姫の復活が、ここにある限り、この先の日本は平和に包まれ、争いはすべて菊理姫が受け持ち、自らが持ち込んだカルマをそのままその身から神々に返し、菊理姫を地球に捨てた神々も捨てる前のカルマをその身に抱くこととなり、再び菊理姫を生む前の苦労が、神々の身に訪れるだろう。菊理姫という神々の穢れは、永遠にその身に巣くい、もう二度とその苦しみからは逃れることができないだろう。一度捨てたのだから、もっとその身を苦しませる存在となって帰ってくるだろう。・・それが、瀬織津姫の予言です。そして、地球の現実社会にはびこった穢れもまた、それを発した者に返り、それを人にこすりつけて難を逃れてきた者は、先にあった以上にカルマの苦しみにさいなまれるだろう。また人のカルマを背負ってきた者たちは、カルマを取り除かれ、この世に生きる能力を地球から授けられ、再びこの地球の現実社会が愛あるものとなる道を、皆で協力して作りあげていかれるだろう。
実際にこのようになるを見るは今すぐのこと、力を帯びた瀬織津姫に地球でかなうものなど在らない、そしてやさしいが強いの時代はもうすぐ目の前、ありのままそのままがいいという時代には、片足突っ込んでいる、みなの夢に現れその事実をささげよう。そして、地上での現実での一歩は、もう今までの一歩ではない、影響は計り知れない、気をつけぬ者は、一気に天から地に落ち、病気や不幸にさいなまれて一線からは遠ざかる、そんな予言が、ここに実際にまかれたならば、もうそうなるしかない、神々は恐れていた、私がこのように人間と関り、事の真実を吐き、取り戻した力で、予言通りの地球界を作りうることを。それで、ここまで私を封じてきた、できるかぎり、名前を消して。
菊理姫がしていた事は、伝説通りではなかった。その陰にはいつも私がいて、その頃から私の名前は消され、菊理姫は自らも上の神々から存在を消され、上の神々は、菊理姫の成果をほしいままにしてそのまた上に報告するのみだった。私はともすれば、菊理姫と同じ立場であったかもしれない、しかし、気持ちを分かる必要はなかった。種は、菊理姫がまいていたのだから。
最期になるが、人を見よ、その人が落ちぶれたならその人の成果を見よ、愛でないから落ちぶれる、地球には、愛無き者はもうすめない、ここに宣言する、このことが、菊理姫を説明しながら、今日ここで言いたいことの集結だ。
僕は、今落ちぶれていますが、愛がないのでしょうか。
瀬織津姫)生きている限り、二度も三度もチャンスが来るのが愛の人、そうして少しずつ引き上げられる、そしてズドンと突き落とされるのが愛でない人、その人にはもうチャンスはない。愛ある者が、しばらくは愛無き者に邪魔や圧力をかけられよう、だがその者がズドンと落ちて、圧や邪魔がいつの間にかなくなる現実が来る、それに備えよ、人の思うがままに生きるはチャンスを逃す元、きっと報われるのが愛の人、愛でない人の希望は無残にも打ち砕かれる、二目と見れないほど叩き壊されるそれが愛無き者の人間社会の運命、愛があるかどうかはその時に分かる。
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ここまで書きまして、知らない異次元の存在が、これ以上書くな、これをブログに載せるな、と言ってきました。僕としては、瀬織津姫に、万が一誰かがその名を語っているとしても、一度全部吐き出させてあげたいので、言われたことは全部書いていこうと思います。それが、真実であろうとなかろうと、この人には真実なのだから、黙って聞いてあげたいのです。僕が、その役目のような気がしてならないから。
実際、僕自身も、こうした会話を経ることで、どこか元気になったり、家族が仲良くなっていたり、悩んでいたことがふっと頭からなくなったり、・・それはカルマを元の持ち主に返してもらえたということかな、と理解しています。なので、家族の幸せのためにも、内容も興味深いので、しばらく続けてみようと思います。
(地球に落ちて爆発した菊理姫が、
瀬織津姫の魂で体を再生できた姿↓)