水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第10章 水槽の中の地球へ(水槽の中を眺める人たちの言葉) ⑩精神障害者と健常者の境目はどこ?1

僕が今働いてる介護施設には、知的障害者精神障害者の方々がおり、量や種類の差はありますが、みなさんお薬を服用して暮らしておられます。

でも、あまり知識のない僕には、その方々との全く通じなくもない会話から、健常者と精神障害者の境目って難しいなーと感じられ、時に妄想のような話をなさることがあっても、僕なんかもこのブログに、人様には理解できない内容を書いていると思うと、また妻の兄であるトム君のような、妄想や想像を糧として生活する芸術家が身近にいたり、過去にスピリチュアルな感覚を持つ方々とも付き合ってきた経験があるもので、こう言ってしまっては語弊がありますが、世の中、おかしくない人なんていないんじゃないかなーと、そんなふうにも思えてくるわけでして。

例えば、障害や病気があるとされてこなかった人の中にも、びっくりするようなこだわりがあったり、ルールに妥協できなくて他者とぶつかってばかりの方などもいらっしゃいますし。

結局、何が言いたいのかというと、

 

・・あ、今朝、異次元存在から、また預かっていた僕の魂を返すよと言われてて、返されたのかどうかは分からなかったんだけど、今返されたのかな、急に僕の思考の感覚が変わった気がする、

 

(魂の返還について↓)

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

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ええと、今の僕は、介護士として、妄想や負の感情に囚われることもあって辛い思いをしている方々を、時には処方された頓服を飲むことを奨励しつつ、できるだけやさしくお世話させていただけばいい、というわけだ。・・・今、急に悩みがなくなりました。

 

水槽の中の地球を眺める人々)健常者と精神障害者の境目は、確かに難しかろう。

健常者も実は異次元の声を聴いている身、ただし、それを意識できてはいないが、声も無意識に聴き、エネルギーも身に受けている、気分の上下がそのためだったりする、異次元的に異次元存在に取り憑かれたりもある、能力がないので気が付かないでいるが影響は受けている。

そして、精神障害者は、一概には言えないが、異次元の世界観を感じることが大きくて、自分の体だったり自分の現在いる現実的な位置だったり、立場だったりに違和感を覚え、現実世界で皆と譲り合いや助け合いのできにくい心の状態にある場合があり、なかなか地に足を付けられない状態だと言えよう。

しかし、精神障害者、つまり異次元を感じすぎる身であっても、性格のやさしさや、知能の高さが手伝って、健常者の中に混じれるタイプの者もいる、ほらそれは、少し前の正樹もそうだと言えるし、また、知能が高い事で社会にある程度順応できて、健常者とみなされる者もいてる。知的障害があると、自分が感じることを社会において制御できなくて、やはり他者との助け合いや譲り合いができにくいのだ。

 

やはり僕も、健常者ではあるけれど、精神障害者でもあるんだ笑。

 

水槽の中の地球を眺める人々)いや,正樹はやさしいから、人の気持ちを汲んだり尊重したりできるから、異次元を感じてはいても、他者と助け合いや強力ができて、健常者とみなされるのだ。

 

うーん、僕は、健常者の方には、ちょっと変わった人ね、と感じられていると思います笑。一応、事務作業とか雑用や計算能力、会話のキャッチボールや記憶力などは普通にあるけど。でもまあ、それも魂が少ない時は確かにおぼつかなかった。段々と魂が戻るたびに思考が落ち着いてきていますが、これまでは、自分のおかしな部分を確かに性格で補えてた部分もあるかも。

 

水槽の中の地球を眺める人々)これから言うことを書き留めなさい。

君は、介護をする上で、なぜこの方は知的障害を持って生まれたのかなと考え、そうして生まれる目的がその人自身にあったのか、それとも、そのように生まれさせられた理由がどこかにあったのか、考えを巡らせたが、いつしかそれは愚問と気づき、考えることをやめた、そのわけは、自分ではないのだから、自分がここにいる意味や人にできることを考えて、その人がそう生まれたいかなる理由があったのだとしても、目の前のその人に、ただ人として接すればいいだけだと気づいたから。

君は、我らの言葉でさえ、そう生きる糧としてしか使わず、我らに取り込まれることがない、だから安心して話すんだ。

君や君に準ずる者らが、つまりは愛ある者らが、今まで他者に貸していた魂を返されるとどうなると思う?、魂を返された愛ある者らは君のように落ち着き、地に足つけて歩き始めるが、反対に魂を返した立場の者たちは、これまで自分の存在を補っていた能力や、知性や、優しい性格を少なからず失い、丸裸の自分となって社会に立ち、世間に裁かれなければならない。人と助け合えるか、譲り合えるか、そこの部分が、今の世になって改めて問われる事態となる、皆が、そうなっていく。

 

人と助け合えるか、譲り合えるか、そこの部分が、健常者と精神障害者の境目、・・?

 

水槽の中の地球を眺める人々)この先、健常者が、その心のありどによりどんどん精神障害者とみなされていくだろう、そうなると、今まで精神障害者だった者が回復したり、お世話をする・されるが反対になっていく現象が見込まれる。また精神障害者が、持ち前の性格で、そのまま精神障害者とされ続けていくことももちろんある。

 

本当かなー、・・・でもね、施設の利用者さんで、とてもやさしい人がいて、その方は精神障害者なんだけど、もし快方に向かったら僕は嬉しいな、もちろん、そのままのその方で十分なんだけどね。

 

水槽の中の地球を眺める人々)異次元では、その人の持つエネルギーと同じものがその人の周りにまとう。

正樹は、以前は他者の魂やカルマを預かっていたため、聞こえる声や自分にまとう異次元の存在も野蛮なものが多かった。その雰囲気に負けじと優しく生きて、今はその身が自分の魂だけになりつつあり、自然聞こえる声も平和的となり、地上でそのままの自分で人々に心を開ける立場ともなっている。

正樹の思うやさしい人も、たとえ今は精神障害者であっても、魂が戻るにつれ異次元で優しい声を聞き、地上の人にも優しくできるようになり、現実の世界の他者より生きる間口を譲られよう、居場所を与えられよう、それに準じて、その人は、回復しよう。

 

あ、まだイメージできない、

・・今日の話は、ちょっと難しかった。

 

 

↓なんとか育ってきたグリーンネックレス