水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第10章 水槽の中の地球へ(水槽の中を眺める人たちの言葉) ⑪精神障害者と健常者の境目はどこ?2

僕が務める介護施設に、あるやさしい利用者さんがいます。

その方は、精神障害者で、症状が重い時は、手が震えてきて、心ここにあらざる状態になられるのですが、何も医学的知識のない僕は、手が震えるのは単純に薬の禁断症状で、ぼーっとするのは、魂が体に入り切っていない状態だからなのでは?、と思って。

われながら勝手な見解で浅はかだと思い、まずはネットで調べてみると、精神の薬は、飲み過ぎや習慣化により、実は、心身の状態を悪化させていくこともあるという記事に触れ、手が震えなくなる薬を新しく処方してもらい喜んで飲んでいる、この利用者さんのお気持ちをお察ししながらも、なんだか複雑な気持ちになって、これでいいのかなー....と考えてしまいました。

しかし、僕には医学の知識もないうえに、この利用者さんを芯から支えられる能力や経済力もなく、もしネットで調べた通りであっても、現状は何も変えられないと思いました。ただ僕は、この方がとてもやさしい人だから、幸せを感じていてほしかった。そのためには、僕のできる範囲になってしまうけど、何か方法を見つけて考えて、いいお世話ができるといいなと思っているところです。

 

水槽の中の地球を眺める人々)精神の薬は、いつ飲み始めたのか。

このやさしい人間が、薬を飲み始めたのはどんな理由だったからか、その理由は、幼少より異次元を感じすぎて、毎日の生活が現実的におぼつかなくなっていたために、親や周りの者らが飲ませたのではなかろうか、異次元を見る目を持って生まれて、その能力は現実生活には合わない邪魔な部分だと判断されて、異次元を見る能力を発揮しないように、この現実に違和感など感じぬ人物となりうるために、持って生まれた才能をダメな部分と判断されて、無くされる方向に無理やりにうながされたのではないだろうか。そう考えることは悪なのだろうか。

 

僕は、まだこの施設に入って日が浅いので、そこまで詳しくこの方のご事情を知っているわけではないけど、僕が思うに、現実的でない感じに、魂が体に入っていないような状態でぼーっとすることは、側から見ていて心配で、他者から見て状態が悪いと判断されるに当たり前とは思います。

まあ身近なところで言うと、妻の兄であるトム君が、芸術活動に行き詰まったり取引先と摩擦があったりした時に、同じような状態となり、彼も当時は心療内科に通っていました。

 

水槽の中の地球を眺める人々)人が、人たるには、地球の上で生きる人間の中に、それぞれが自分の魂を差し入れて生活することで、初めて人が人間として地上に降り現実世界と呼ばれるところで他の人とも会い、他の存在の魂との関わりを可能にすることで、人が人としての存在価値を得られると表現してもいいだろう。

しかし、その過程が完全にはいかずに、人の体の中に魂を差し入れてもその度合いが浅かったり、たっぷり異次元の感覚を受け取れる状態で日常生活をされると困る存在らが人間のなかにもいて、そういう者の行動を頭打ちにして、挫折感や罪悪感を持たせてますます魂を体に入れさせず、現実の日常生活を虚な状態で送らせるようし向けられていることも多々あるのだ。

ここでご説明しておくが、人間は、本来は異次元的な存在ともいえ、地球にて現実世界であまり勝手をすれば、異次元の存在らがそれは和に反するから控えてもらおうと、異次元的な刺激を生身の体に与えることで、行動を制したり指導したりできてきたものを、そうした異次元からの影響による体の不調や痛みを、薬を飲むことで回避しては、勝手を続けられるという状態を人間は作り出した。よって薬は全般的に自然ではないし、自然ではないことを体にさせることで、知らず知らず体もそして心のそのものの状態も、異次元を含む和の雰囲気の中における個人の存在感としても、悪い方へと導く要素があると言える。一時の楽が、実は続ければ悪き影響へと導くのだ。

また異次元的な和を重んじる雰囲気に乗っ取りたくない、勝手をしたい異次元の存在がこのところは増え、異次元的にも勝手をしたい存在たちが地球にはびこる状態となっているところにも注目してみると、本来あるべき優しい雰囲気を持つ人間の方が、勝手をしたい異次元存在に刺激を与えられ行動を制される、という、本末転倒のやり方が曲がり通りつつある状態が今の地球だとも言えて、もはや何も知らない純朴な者が、何を信じたらいいのか戸惑い迷い、強い勢力に従うしかない状態が、今の異次元を含む地球の状態であると言えるのだ。

正樹が思うように、精神障害者と言われる人々は、もはや今は薬がなければ暮らせぬようになっているし、医者に当たり前に病気と判断され、当たり前に処方される薬を飲むよう促される雰囲気に、つくろうすきも余裕もなく、皆が自然を失い不自然を受け入れざるを得ない状況であっても、その世界で生きるしかなく、異次元を知る正樹には、現実のありようが少し異様な光景に見えたことだろう。

 

僕の中でお医者様は特別な存在で、滅多な人ではなれないし、頭も良く、精神力もあって、立派な人というイメージなんですが、

 

水槽の中の地球を眺める人々)しかし、そういう存在にも、分からない世界はある、当たり前のことが自然ではない場合もある、正樹は、現状を変えていくには力不足だと自分を顧みているが、そういうことではないことをここで伝えておく。

やさしい人がいる、その人を助けたいと思う、それは自然、そしてそういう正樹に力を貸したいと思う存在がいる、これも自然の中の自然、しかし人間社会では、ここまで培ってきて得られた勝手のできる環境を壊されたくない存在とそれに繋がる人間もいるから、正樹が人間界でやろうとすることはことごとく頭打ちされる、それが今までの常だった。

この先の世界は違う、エネルギーの流れが、もう愛にしか向かえないんだ、愛の流れに対し逆行が苦しくなるのがその流れ、だから正樹に伝えておく、愛でない勢力に逆らうな、それを潰そうと思うな、あくまで愛でいろ、愛にならば誰もが潰せない、後押ししかできない、皆の持つ少しでもある愛に注目してそこを讃えよ、自分もそうなりたいと思い努力すること、そうしたら、みんなが正樹のできない部分を補ってくれるようになる、愛に向かえる方向性さえ皆に示してくれれば良いんだ、それを目印にみんなが生きるようになるからだ。

なにもできなくても、知識も力もなくても、正樹にはそんな力があるよ。

 

いや、言うは簡単ですが、具体的な行動は、僕が自分で考えて、自分で行動していかないとですから。

まず、薬を飲まないで虚となり、ぼーっとなった人に、僕はどう声をかけたらいいのかも分からない、せいぜい、こっちにいましょう、と声をかけ、安全なところにいていただくくらいしか僕には思いつかない。でも、それでさえも受け入れてもらえるか分からない、ご本人にしてみたら歩いていた方が落ち着く場合だってある。・・・普通に考えてね、介護の世界は、お医者様や看護師さんや、ケアマネージャーさんの指示に従ってでしか動けない立場なのだから、そういう意味で勝手はできず、僕がどんなに精神障害者の方を簡単に病気とは思いたくないなーと思っていたとしても、仕事の上では、指示通りの時間に薬をお渡しするし、すべて指示通りの対応をせざるをえないんです。

 

水槽の中の地球を眺めている人々)では、心の中だけでは?

心では、やさしいその人を尊敬している、なんとか助けたいと思っている、いい人だと感じている、そういう気持ちが何も伝わらないとでも思うのかな?、十分伝わっているんだよ、それでいいんだよ。

今さら、その人から薬を取り上げるわけにはいかない、いくら実は体に良くなくっても、心にも本当は良くなくっても、薬で安心できるのなら、そうした心の杖をとってしまってはならないし、もう取ることはできない、薬を飲めばいいと信じているのだから。

でも、君のように、彼を病人扱いしないで(下に見ないで)心で接してくれる人と触れ合えることは、その人にとって幸せだと思うけど、君はどうだい?、それだけじゃ物足りないかい?

 

いえ、そういうわけではなくて、、、なんというか、僕が権威ある立場だったなら、もっと利用者さんに信頼されるような能力とか、安心感を与えられるような風貌とかがあったなら、もっと色々できたのかなと、自分のあらゆる面での力不足に落ち込んでいるんです。

 

水槽の中の地球を眺めている人々)君の力は、本当に不足しているのかな?、、、

これは、これを読む人にも聞かせたい。

正樹も、また心優しい者はみな、己の力不足を悩むけど、力は各自に備わるものがあるだけで十分なんだ。正樹は医者の仕事は好きじゃない、だったら医者の力はいらないさ。、、風貌?、、ははは笑、その顔や体型で生まれた理由もちゃんとある、心配しなくていい、そのままで人は皆いいんだ。

正樹は心優しい人を助けたい、それならば今の仕事は適役だ、そうできる環境に今はあるのだから。そして、物事は本質を貫くが、いいか、心して聞くがよい、

今後、世界にパンデミックが起き、薬不足がもたらされる、今現在もそうなりつつあり痛み止めや解熱剤の不足など見込まれている通り、しかし心配することはない、その出来事は、愛に生きよう、自然に戻ろうという呼びかけなのだ。

自然に、精神の薬にも不足が起こり始める、それを皆が薬の使用者を励まし包むことで乗り越える、その後は、薬がなくとも割合健やかに暮らせることに、双方が気づく、施設としても体に良くないから薬はやめようという方向に自然行き着く。

しかし、愛のない者は薬を奪ってでも得ようとするだろうし、一部の健常者は、薬を飲まない使用者を怖がり近寄らなくなるだろう、その時までに、いかに心の交流を、お世話する人される人の双方でしていけるかによって、薬がなくなった時の互いへの信頼度が全然違うから、今の正樹のような心での介護が、大切なことが分かるだろう。

 

しかし、一つお聞きしたいことがあります。

知的障害の方々は、脳に傷がある関係で、心で接しても時に通じにくい場合があります。僕は、いろいろな現場を見てきましたから。みんながみんな、薬を飲まなくなって症状が改善するとは思えないんですが。

 

水槽の中の地球を眺める人々)その意味が分かるかな?、その理由が

いよいよ現実にも、愛でない人間には愛でないものを返す、そういう動きがもたらされることになる。知的障害のある人間は、愛の無い人間を再現なく困らすだろう、一方で、愛のある人間は、彼らには困らされないだろう、その意味は、地球に存在する異次元存在が、愛ある地球に相応しい者を受け入れ、そうでない者には攻撃を仕掛けるといった動きにもとづき、それが彼らの自然体なので、そういった彼らのエネルギーに呼応して、知的障害者達が活動を始めるということを物語っている、そう、映画アバターのナビたちのような活動。

知的に障害があることで、幸いにも地球そのものを蝕むような存在組織と心を通わせないでいられた彼らは、もしかしたら、社会に適合できている者らよりも、一番幸せと言えるのかもしれない。今は、弱者と言えども、虐待は犯罪なのだから、そういう彼らを力で抑えるわけにもいかないのだから。動物ならば、まだ手荒に抑えることも可能かもしれない、しかし、人間にはそれは許されない。

 

 

・・・あの、今、九州や日本海側の各地域で大雨が降り続気、各地で災害が起こっていますが、ひと通り災害があったたと、日本の現実世界に起こりうるのはそれだということ?

 

 

水槽の中の地球を眺める人々)神社の権威はもう落ち続けている、その理由、

我らは君らのいる地球を外から眺めているだけの存在、誰の味方にもなれない立場でありながら、今我らは、君のように優しく生きれる者たちを応援する立場にある、その立場が実は我らが今いるこちらの世界を救ってくれるエネルギーにつながっている、地球だけではない、こちらの場でも愛こそ万物の長なのだ。

神社の由来は、地球の現実世界の大地において、各種地球に集まる存在らとの和を重んじず、自分たちだけの正しさを他に押しつけ、勝手を働きたい者らが縄張りとして作った砦であり、砦があることで彼らは自分たちの優勢をこの地球で誇ってこれたが、地球の本来なるエネルギーは愛、地球が愛無き者より愛ある者を救わんと立ち上がり、自らの波動をあげ始めたことで、地球のエネルギーの逆を行くその砦の力がずいぶんと弱まってしまった。それゆえに神社にイタズラする者が増えたり、神社のある場所が災害にあったりするようになった。

そうしてこの後も、大きな神社が災害に遭い、そこに水が入ることで、そこの地を本当の意味で浄化する工程が暫く続くだろう。それに準じて、小さな神社へも、そこの地が聖域でなくなる状況が随時与えられていくだろう。

 

(↓大きな神社が災害に遭う話)

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

具体的には?

 

水槽の中の地球を眺める人々)小さな神社には、あらゆる災が集められ、今はそれを浄化する力がないために、そこに関係する者らが次々と不運に遭い、神社を守る結束が、心の方から崩れていく、後継ぎがいなくなる、経済的に回らなくなる、心静かに神社に滞在することができなくなる、等。

その後で、パンデミックが起こり、薬不足に。

 

神社というか、宗教全般の各教会でもそれが起こっていくということですか?

 

水槽の中の地球を眺める人々)いや、日本に根付いた宗教、神社や寺というものにそれは起こり、その他の各種宗教の教会では、もっと悲惨なことが起こる、なぜならそれは、そういった各種宗教は、お金儲けの集団であるからだ。与えた他者への不幸も、全て受けとらねばならなくなる、尻拭いする者がいない状況の中で、各種宗教の関係者は、往往にしてそういった自分達がした事の返りの余波を受ける結果となる。

話がそれたため、今日はここまでにしておこう。

 

 

↓枯れたと思ったら、復活して開花した桔梗