水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第10章 水槽の中の地球へ(水槽の中の地球を眺めるひとたちの言葉)⑥闇と、移り行く地球の磁場について

久しぶりのブログです。

先日から、ちょこちょこ書いていますが、僕自身の気持ちに復職の気持ちが芽生えておる状況で、妻の勧めもあって、現在、就職活動をしています。

最近は、いくつかの職場を見学し、人と話し、現実での人とのコミュニケーションを重ねていたことで、このブログを書く気も遠のいておりました。

これからは、今までのようには、詳しい異次元の様子は書けませんが、昨日、新しいビジョンを体験しましたので、記録しておこうと思います。

 

まず、場所は、出雲の出雲大社の場所辺り。

その下の地球内部に、大きな丸い扉があって、そこの扉が、戸が横にずれるように開いていきました。

扉の向こうからは、これまた大きな異次元生物たちが、のっそりと、何頭も出ていきました。

その扉を守っていたのが、小さくて、黒い瀬織津姫

瀬織津姫は、そこの場所で、人柱として置かれ、この扉を開かぬように守っていたようですが、地球のエネルギーに反してその任をなし続けてきたことで、いろいろな闇やネガティブに覆われて、とても苦しそうでしたが、このたび、その任が終わったようでした。

瀬織津姫は、そのまま誰かに連れられて僕のところに来て、誰かが、僕に、瀬織津姫を癒すように言いました。でも、瀬織津姫と僕が、少し背中でつながったと思ったら、すぐに絆は取り除かれ、これまたほかの誰かに、おまえには瀬織津姫の浄化の任はない、と言われて、そのままとなりました。

その後、瀬織津姫についていたネガティブは、それを与えたものに返り、瀬織津姫が守っていた扉から出てきた動物たちは、今後、異次元を通して地球の現実に影響を与えていく、と言われ、僕はただ、そうなのかー、と思いました。

 

(↓ 以下は、瀬織津姫との出会いと、僕が以前、瀬織津姫を浄化した時の話)

mizuirononaka.hatenadiary.jp

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なにしろ、この頃は、異次元のことはどっちでもよくなっていて、異次元の体験は日常的にあるものの、取り立てて日常生活において気にしてはおりません。勝手には、ビジョンを見せられたリ、体験させられたりはしているんですけどね。

 

まぁ、今日、僕の伝えたいことは、こんなところです。

 

 

水槽の中の地球を眺める人々)解説といこう。

まずは、正樹のこと。

最近起こっていたのは、正樹が、就職という形で、きちんと地上に降りる関係で、正樹にいろいろな存在が魂の欠片を借りていたのを、つぎつぎ返されることとなり、正樹の魂を保有している者からの、とんでもない妨害が異次元にてあり、それの影響で、正樹は、思ったような就職活動ができないでいたが、それにもめげずに人々に、感謝の気持ちで関わっていたために、結果、一番出会っていい職場に巡り合い、そちらへ努めたい意志を固めているところだということ。

そして、地球の様子は、そんな正樹の変化とリンクするように変わっていき、とうとう異次元において、現実世界で人間たちが、人間たちに合った暮らしを遂行できるために封じられていた扉が、瀬織津姫のお役御免で開かれることとなった。

瀬織津姫は、文字通り、この扉を守る人柱となっていたが、そんな瀬織津姫の魂を、そんな大役を任せながらも粗末にしていた者たちがいた。そういう存在に、闇やネガティブを与えられ、瀬織津姫は、それでも歯を食いしばって、みんなのために耐えていたところだった。

よって、不正に瀬織津姫に課せられた負荷は、正樹に浄化されずに、それを与えた者に返ることとなり、人間の中では、このほど急に体調を悪くしたり、運を失ったりするものが出る模様である。

また、動物たちの開放の意味は、この地球が、どんどんと本来の姿に戻っているということ。地球の本来の姿とは、映画『アバター』における、星に既存の動物たちが、星で暮らす生業も学ばばいままに侵略してくる存在たちに、牙をむくといった状況と同じく、地球の異次元でそれが起こっていくということ。

正樹が見たのは、出雲の扉だが、世界各地でそのような流れでもって、各地の扉が開き続け、愛を発しないままに地球に留まる存在らを、現実世界を含めて攻撃していくぞ、という意味であり、現実世界の人間も、異次元的にこういった動きの余波を受けるということを、肝に銘じていてもらいたい。

優しく、愛ある者には悪さはない。また、おとなしくても、やさしくなく、愛なき者には、その心と同じものが与えられ、結果、一人孤立することとなる、または、集団で、体を悪くしたり、不幸な目に遭うなど、憂き目に遭う可能性が高いことをお伝えする。

自分に合ったもの、自分そのものが、体験や、経験に、目の前に表れよう。出来事は、全部自分をあらわしているということ。忘れないでもらいたい。

やさしい人は、やさしくされよう。やさしくない者は、自分そっくりな他者により、自分が与えたものを返されよう。強くいようとする者は、他者から、強く出られてぶつかられるであろう。家を(自分の居場所を)守ろうとする者は、反対に、家から出されよう。よく見ているがいい、きっとその通りになるから。

 

また、異次元生物たちが、そうした異次元の山々から解放されることで、必ずしも地震が起こるとは限らず、地震が起こらない場合もある。つまり、出雲に地震が起こるとは限らないということ。

地震の可能性はゼロとは言わないが、多くの扉の開放は、異次元生物たちの自由行動を許すために行われることであり、なにを起こすかは、その生き物たちの判断にゆだねられるため、なにが起こるという名言はできない。

加えて説明すれば、地球はかつて、自らの意思もあって、この地球の現実世界に、人間の活動を見守るために、扉に生き物たちを封じることを許しもした。しかし、時は過ぎ、いくらどうしても人間の活動パターンと精神構造は、どんな経験を課した所で変わることはなく、学びが無いことが分かり、もうここまでの優遇だということを判断して、人柱である瀬織津姫の開放に踏み切っている。

あとの人間の処遇は、異次元動物たちに任される。

異次元動物たちは、世話がいらない動物であり、人間の心の奥底にある思いや理想をくみ取り、その人間を補佐したり、逆に捕獲し閉じ込めたりと、色々に接していく。異次元においてだが、現実への影響も大きい、特に、健康や気持ちの問題で。

この先、地球に合う者は健康になろう、また、地球に合わぬ者は不健康をあたえられよう、肉体と精神において、この先は、自らの持つ心によって、二つの状況へと導かれよう。見ていなさい、その通りになるから、もうそれを阻止できた瀬織津姫は、そこの場に、いないから。

瀬織津姫自体がどうなるか、だが、闇やネガティブを与えた者に返したところで、今度は、瀬織津姫が、自分の気の済むように人間たちに接していく。好きな人には愛厚く、嫌いな者には幸薄く、そのように生きることが、愛の魂を持つ、瀬織津姫の存在であり、地球の自浄作用の一つでもあるのだ。

さて、ここから何人の人間たちが生き残ろう。

死は、いわゆる死ではなく、現実世界における存在感に対する、死、というもの、存在感が大きくなる者、存在感が小さくなったり、なくなったりする者、様々であろう。よく見ていなさい、きっと分かるから。

以上が、こちらから伝えるべきことなり。

また、正樹は、必要に応じて、再びここに来るべし。

 

はい、分かりました。

 

・・あまり頭痛とかならずに書けてホッとしました。

 

水槽の中の地球を眺める人々)正樹も、そのままの自分になれたんだよ。瀬織津姫とともにね。

 

正樹の自然は、もともと霊能力のある自分、そこを否定せぬでも抑えぬでもいいということ、そのままの自分でいいのに、君の母親は、そこを押さえつけた、そして、人生を狂わせた、愛の力で生きてこそ、人間というもの、愛の価値や力を教えてこそ、母というもの、親は、子に、世の中の道理を説くより、愛というものの大切さを説いてこそ、自らから愛を子どもに与えてこそ、親というもの、それを覚えて、職を続けなさい、君の得意は、その二つのはず、それが行使できる職にあたったはず、何の不安もないさ、母の教育から免れた幸せが、やっと渡せた。

 

嬉しいです。

 

 

↓今年もできたよ、グミの実。