水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第三章 水色のなかま ㉖今後の地球は映画『猿の惑星』のように

水色のなかま)正樹に少し話したいことがる。

正樹は、僕たちと話す時は、僕たちの話をよく聞いてくれるし、大体のことに納得や共感をしてくれている、しかし、ふとした日常で、話した内容を「あれ?」と思うことがあるようだ。今日は、それらの疑問を解消しつつ、今後の地球について話していこうと思う。

まず一つ目、正樹は、あまりに僕たちの話が、正樹の心が描くこの先の地球に近いから、それは理想であって、実際にはその夢が叶わないんじゃないかと思っているが、それは、そうではないんだ。

なぜなら、正樹に合った存在として僕たちや家族がいて、それぞれの人間には、それぞれに合った仲間や異次元存在がそばにいて、そうした集まった面々で、世界というものは作られていくものであり、当然、正樹の思う理想の世界に、地球上の全員がたどり着くわけではないことを覚えておいてほしい。

正樹の未来は、必ず理想通りの未来となるし、皆の未来も、その者の持つ理想通りのものへと変貌を遂げるのだ。つまりは、よい未来の理想を描かぬ者には、永久にその未来は与えられないが、描ける者には必ずその世界が用意されるのが、世界と言えるということ。分かるだろうか。

 

分かったような、分からないような、・・ちょっと難しいね。

 

水色のなかま)なぜ難しいのかは分かる。つまりは、現実世界は、ある一定の共通理解のもとで掌握されており、国々はいずれも中央集権的で、個人の夢や理想は、多数決や権力のある方へ流れるばかりで、滅多に叶えられることはないし、皆の夢や理想をすべてにおいて叶える政治など、まったくもってあり得ない、

国民には、税金の義務のほかにもあらゆる義務があるし、地域でも、一定の理解のもと力を合わせていかねば暮らしていけないし、異次元の存在とこうして夢を語るだけならまだしも、現実世界がそれぞれの認識により、それぞれの思う通りに変わっていくというのは、簡単には想像できないからだろう。

 

そうそう、そういうこと。ここで話すだけなら楽しいんだけど、実際には無理だろうなーと思っちゃう。

 

水色のなかま)正樹、世界はね、異次元も現実も、実は、人間である一人一人、生きてる本人が作っているものなんだよ。

 

うん、よくそう言うよね。スピリチュアルな話では、世界を作っているのは自分だと、よく聞くよ。その言葉も、途中までなら納得がいくんだ。気の持ちようというか、起こっていることは同じでも、嬉しく感じたり嫌に感じたり、人により感じ方が違うよね。すべての出来事を幸せだと思える人には、この地上が天国だろうね。そういうことなのかなーと思うけど、いくら理想の暮らしを思い描いても、実際暮らしが向上したり、よい仕事に巡り合えたりは、無理なんじゃないかなーて。

 

水色のなかま)その通り、そこまでしか人間には想像できないのが、世界の仕組みなんだ。いつからか、世界を作るのが、ある一定の人たちに掌握されてしまって、一人一人が世界を作り、その織りなす世界が重なって大きな世界、みんなの世界ができていく図式が、みんなの頭や感覚からなくなっているわけで。だから、今生きている人間たちは、そこらへんがぴんと来てないわけ。途中までなら可能だけど、それ以降の夢は、大きな存在につぶされる、と、無意識に認識していて、途中までで、その先を望まず心を閉じちゃうの。分かるかな?

 

なんとなくは。

 

水色のなかま)先ごろ、地球にある二つの扉が開いてしまって、地球は、異次元から愛のエネルギーを取り込み始め、どんどん愛の地球として、愛の勢力を、内からも外からも高めつつある今、地球はもう変わりいく道しかない中で、そこに住まう人間や、そこに集う異次元存在の皆々においても、地球に居続けるためには、自らの愛への変化を、地球のエネルギーの流れに乗れるべく、どうしても急がざるを得ない状況となっていることをまず伝えたい。

 

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

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そう、乗るべきは、エネルギーなのだ。そちらに、つまりは、地球と同じく愛を高める方向に、人間ないし異次元存在の内面が変化していかねば、仕方がない状況に、今来ているということ。

だから、愛ある者が、そのエネルギーに乗れて、調子も良くなっていく一方で、そのエネルギーを心地よいと思えない愛の少なき存在たちが、どんどん調子を下げていかざるを得ないのは、言うまでもないだろう。

そうなると、愛はあっても、これまでは、人間同士の争いに弱いような者や、人間社会で生きるための様々な能力が不足している者たちが、社会で活躍できる場面が少なかったが、この先は、愛ある者の調子が上がってくる世界となるので、そういう者たちが活躍する場面がどんどん増えてくる。

なぜなら、愛少なき者の愛のないさまが、誰の目に見ても明らかとなるから。今まではうまく隠していた弱い者いじめも、意地悪も、愛少なき者のエネルギー不足によって、はっきりとした形で皆の知れるところとなり、そこで居直ったが最後、誰からも信頼をしてもらえないただのいばりんぼう、そうしたキャラクターを引っ提げて、今までのような立ち位置で心穏やかに仕事ができるかと言えば、そういうことはなく、やはり愛少なき者たちは、社会から淘汰される道をたどるしかなく、結果、心の中の情景がその者の世界を作りだす。

つまり、愛少なき者は、人を人として個性を尊重してあげることもなく、ただ社会でうまくやれる自分を目指している、上司になればこれ幸いと、下々のことを考えずに自分の好きなように職場を運営し始める、表にばれないように良い人を気取り、実は心の中は人に負けたくない、人を負かしたい、自分のストレスを発散したい、人のせいにしたい、自分だけが良い目を見たい、なぜなら、そうしないと人にやられるから、と、本心がそうだから、その心の世界の人間像が、そのままその者の周りに現れ、その者の世界になっていくというわけ、分かるかな?

本当にやさしい人も、本当はやさしくない人も、そんなふうに、心に描く世界が自分の世界になる。本当にやさしい人は、今までは、人を信じて悲しい思いをすることもあった、でも、この先は、人を信じるその人の心が、地球の愛と呼応して、愛の上昇エネルギーに乗り、同じような人との出会いを実現する、そうしたら、その後は、人を信じて裏切られることはなくなり、やさしい人の描く世界が、見事に現実化して現れる・・どうかな、これで分かったかな?

 

うん、だんだん分かってきた。その、地球の二つの扉が開いて、地球の愛がどんどん上昇していくエネルギーが僕たちを取り巻くことが味噌なんだね。それにより、自分たちの持つ愛が同じくらいの人と出会い知り合うようになることで、自分の描く世界が、似た者同士の仲間と実現できるというわけなんだ。

 

水色のなかま)そうそう、そういうこと。

残念なことに、愛少なき存在たちは、愛ある存在たちの恩恵を、この先は、受けられないようになっていくんだ。今までは、愛はどんな人にも分配されていた。でも、この先は、似た者同士の付き合いになっていく。地球のアセンションとは、人間が半身半霊になっていくだけじゃなく、みんなの世界も変えていく、そういう意味もはらんでいるわけだね。

 

なるほどー、前よりはよく分かってきたよ。

 

水色のなかま)そして、長くなってきて申し訳ないが、映画『猿の惑星』についてだが、あの映画は非常によくできていると僕らは思う。

シリーズ一作目の最後、猿が人間を支配しているこの星が地球だったと分かり、主人公はすごくショックを受けていたね。その結末が、この先の地球を示していること、無意識に感じている人も多いんじゃないかと思うんだ。つまりは、支配層が変わるということ、文明を作る者とそれに従う者が入れ替わるということ。そう、今までは従うが愛ある者だったが、これからは、愛ある者が文明を作り、愛少なき者が従う身となり、立場を違えていくんだ。

地球が愛に向かうエネルギーの流れにより、それに乗れる者が生き残り、それに乗り辛い者が自然淘汰されていくことにより、地球全体としては、そういった、立場の逆転が実現されていくということ。

考えてもみなさい。地球以外の星が地球を見つめている。愛へ向かう流れは、地球以外の星では暗黙の了解、愛へ向かわねばならない、その一本道が誰をも助ける命綱であり、愛へ向かえぬ者は、世界としても味方になれない。愛に進まず、誰をも敵に回す道に進み、誰が待っているかと言えば、同じような愛少なき者たちだけで、

 

・・あ、一つお聞きしたいのですが、そのように愛が高まった未来の地球には、もう二度と惑星どこそこのやさしくない宇宙人は、降り立てないのですか?それとも、再び現れ、やさしくなった地球の民たちを奴隷に使い、地球にある豊富な資源を持っていってしまうんでしょうか。大いなる意志は、やさしい民が納める星を、やさしくない宇宙人から、どのように守ってくださるのでしょうか。

 

水色のなかま)あははは。よく勉強しているね。

その話は、また今度しよう。正樹が勉強熱心で、おかげで説明すべきことが明確になる、ありがたいよ。

 

はい。またよろしくお願いいたします。

 

 

(地球の次元上昇エネルギーに乗って自身の愛を向上させた者同士が高い波動の位置で出会い、お互いに気が合って嬉しいと感じている様子 ↓)

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