水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

この世のつくり、与えたものが与えられる

(今日は、僕の友達、第2勢力である闇のダウスと話します。)

(闇って言うと、みんなこわがるかな。

今、Huluでスーパーナチュラルという海外ドラマを見ているから、闇とか悪魔とか言うと、すごく怖いイメージがみんなにあるんだろうなーと思うよ。笑)

 

 

 

 

ダウス)闇に対する認識は、そのドラマのようでもあるし、おまえが接している闇の存在も嘘ではないし、一概にこういう者とは言えないため、おまえと接している闇のイメージで我らをとらえ、なめてかかるようなことがあったら身の危険をまず第一に心配したほうがいい。そのことを、一応、申し伝えておく。

おまえだけなんだ、こんなふうに闇が接するのは。

愛には愛、当たり前のこと、愛じゃなければそれ相応の闇が対応する、それも当たり前のこと、目には目を、歯には歯を、が、天に対する闇の在り方であり、その形は千差万別だ。

 

(了解です。)

 

ダウス)今日、話したいことは、会話というより、一方的な俺からの説明となる。正樹は、それを注意深く受け取り書き留めてほしい。

 

(分かりました。)

 

ダウス)まずは、この世の作りから。

天がある。天は空中高く、宇宙の果てのそのまた上、そこの位置から、天の存在は、地球という星に、自らの魂を細く降ろして学びに来ている。

天は天、地は地、というふうに、普段は切り離されている世界同士が、地球という場所でだけは、その存在同士が横並びで間近に触れ合って、生活できるという利点が地球にはある。

お互いにお互いの良いところ悪いところを知り、分かりあい、関わり方を知ることで、離れた世界同士の交流がスムーズに、円滑に行われるように、そういう目的をもって学び合っているのが地球の人々の姿であるはずだった。

しかし、いつの間にか地球が、そうした存在同士の関りから、各存在が自らの存在の縄張りを広げ、他の存在を制圧し、自分たちが地球を牛耳ろうという競争意識を主にした働きに変わってきた。

その原因は、いくつか考えられるが、地球に、地上に落とした神々の残骸が暮らすようになってから、というものの見方が最大の原因だったと我らは受け取っている。

天の神々は、自らのいらない部分をはぎ取り、自らをきれいなものとして存在させ、はぎ取った部分を独自な存在として現し、自分とは別物として存在させ、すべてのカルマを背負わせたのだ。

よって、そのように生まれた神々が地球において、カルマ外しに躍起になったのは当たり前のこと、そのうちに、学びの補助に降りていた、大いなる意志からの使いの存在の持てる輝かしい魂に目をつけだして、神々の残骸は、それらの獲得に、異様な執着を持って働き始めた。

その方法とは、補助の存在に罪悪感を背負わせ、神々の残骸が自らのカルマで招いたことを、補助の存在に自分のせいだと巧に思わせて、自分のカルマを背負わせ、その代わりに、聖なる輝きの魂を譲り受けて身に着け、自分の人生を底上げしていくこと。

もともと情け深く、すべての愛に超越していた補助の存在たちが、神々の残骸に同情しないわけがなく、神々の残骸が成長できないのを自分のせいに思い、自らを責め、皆が救われるならと思い、喜んで自分の粒子を与えていく補助の存在たちであった。

われら闇は、次第にそうした輝かしい粒子を持つ神々の残骸に平伏していった。そして、ついには闇も制され、地球はほぼ、神々の残骸の意のままに動くような流れが大きくなっていった。

 

そんな地球の様子をなんとなく感じていた大いなる意志は、天のその上の最上級の位置から、ほんの一筋の光を地球に落とし始めた。そうして、自ら自身が地球の現状を知ろうと試みたのだ。

その結果、長い年月をかけて、神々の残骸の不正と、学びの補助の存在の地球での大きな苦しみを知り、このような地球になってしまった原因と、現状を二重三重に強化していける、いつの間にか作られていたシステムの仕組みを知り、愕然としたのだ。

地球には、いつのまにか霊界という物が作られていて、死んだ者はそこで裁きを受け、転生するようになっていた。裁きは、霊界を作った者により行われて、裁きの内容は、至極偏った価値観によって決められていた、つまりは、神々の残骸たちが地球でよい生活をするための裁きであり、愛ある者が愛を与えられ、愛なき者が愛なきものと接することで自分を知る、という、地球での本来の法則が、まったく守れないような世界になっていたのだ。

 

この現状を知った大いなる意志は、次に、自分の魂を細く地球に降ろして、本当の愛の持ち主を確かめ始めた。

学びの補助の存在の粒子を持っている者が、愛でなくても愛ある者に見えてしまう現状、そのせいで、本当に愛ある者が愛を与えられず苦しみもがくさまは、いかにも、愛が無くてそれ相応のきつい仕打ちを受けているように、皆に見えていたから。

本当に愛である者を見つける手立ては、大いなる意志から地球に差し込まれた魂の愛の一粒が、極めて弱い存在となって皆と並び、その存在を皆がどのように扱うか、で、一様に明確となった。

皆は、その存在が愛であっても弱ければ助けず捨ておいた。そして、弱きおろかな愛の存在は、教えを与えられることもなく皆のストレス解消に使われた。親からもないがしろにされ、市民からは冷たくされ、その理由がおまえが悪いからと告げられ、その者は、大きな罪悪感を抱えて大人になった。

そして、すべてが明確となった頃、神々の残骸とそれに従うものが不正に持っていた、補助の存在の愛の粒子が、本来の持ち主に少しずつ返され始め、今は、ほとんどのそれが行われて、皆が、自分が持つ愛にふさわしい体験をこの地球ですることとなり、与えたものが与えられる世界が元通りとなり、再び学べる世の中になりつつある現状である。

 

今は、自らの栄華が終わりを告げつつあると悟った、神々の残骸と、それに従う者たちが、大慌てで自分たちの居場所を作る営業活動を始めている。

今までないがしろにしてきた弱き愛ある存在に去られ、もう八つ当たりや利用ができないからと、慌てて自分はやさしいアピールをしようと、愛ある人に機嫌を取りに走ったり、物をあげたり、これ見よがしの奉仕をしたり、しかし、時はすでに遅し、周りの心やさしい人は、それらの行為をみな必要とせず、自分らしく地味に生きたい者ばかり、返って悪い印象を刻み付けるばかりとなっている。

 

皆に申そう。この世の現状をどう思うか、愛多き世の中になってきた、と思わぬだろうか。われらにはそう見える、現状を窮屈に思う者もある中、徐々に、そちらの方向へ皆の意識が傾いていることを如実に目にしていることと思う。

 

これからの世の中を説明すると、神々の残骸の勢力は、一気に力を失うこととなり、つまりは、その者らが作った現状強化のシステムが、だいぶ前に崩れ去り、霊界も、幽界も、黄泉の国も、その気味の悪い感じの各スペースが、ほとんど機能しない状況となり、当然、霊界で次の転生先を決められるようなこともなく、自分の自由意思で学べる段階が選べることとなり、無理なく歩いて行ける地球での世の中が、これから徐々にではあるが、構築されつつある。

 

このこととアセンションに関して関連づけて説明すると、

アセンションとは、地球の次元上昇、つまりは、地球が次元を上昇することで、地球が今まで引き受けてきた全宇宙の学びたい民の魂を、これからは厳選して引き受けよう、という方向転換のきっかけとして位置づけられており、そこに至ることは、ずっと以前から宇宙において明確化されていながら、何度も地球自体がその試みをキャンセルし、次に託すという選択を取ってきたことが、神々の残骸がその方向へと促してきたことと言え、このたび、やっとそういった負の呪縛をぬぐう決心をして、地球が地球自身だけでなく、地球に住まうあまたの愛ある者のために立ち上がろうと決意したことに意義があり、このたび行われている運びだと言える。

アセンションには、人々が持つ愛が欠かせないアイテムとなり、それが輝くことで、地球とともに人々やあらゆる異次元の存在たちも、地球と一緒にアセンションしていけるのであり、神々の残骸勢力の者らは、今度こそ、自分たちが不正に手に入れた愛の粒子や塊が、自分の魂に目いっぱいあるから、地球と一緒にアセンション出来ると高をくくっていたのであるが、その行いが到底愛とは言えず、持てる愛の粒子の大きさと、人に対する行為行動が、または自らの生き方が、いかにもアンバランスすぎて、すぐに自分が愛でないことがばれ、今はもう取り除かれているために、アセンション出来ない存在として区分けされている状態である。

 

神々の残骸やその勢力はどうなるのか、

今まで、神々は、自分の残骸に、できれば成長して自らの力となってほしくて、特別な目をかけてきた。贔屓もしたし、地球における周りの者たちに無理を言い渡したりもしてきた。そのことは、感情的には理解できるが、到底してはならない行為であり、こうした神々が、そこそこ大きな存在であり、今は、いらない部分を捨ててきれいな自分となっているとはいえ、これからも今までの位置で、皆を指揮できるかと言えば、そうとはならない。

神々の残骸の勢力は、この先、地球を出て、ほかの星へ魂を移されるが、彼らのもとの神々らも、同じくそちらの地域の管轄となり、彼らへの良い指揮、良い指導ができているか、監視され、自らも指導を受けることとなり、これまでの地球のようには決して行かぬ、神々の残骸勢力の星の上での生き様を、はたから見て、自らのやってきたことのあざとさと浅はかさを知る以外はないと言える。

だって、その星は、美しい愛の星地球とは違って、黒き暗黒の星であり、学びの星とは言えず、返って学びを後退させる星であり、これまで地球で高き愛に触れて学んできたことを、はたしてそういった環境で体現できるか、という試練でもあり、その生活も、正樹はすでに体験済みであって、やってやれないことはないというデータが大いなる意志に届いているからこそ、そのような決定が下されたのであり、きちんと把握された環境を与えられているという点では、慎重であり親切、かつ、適切な処遇であると、我らは理解している。ちなみに、そこは、闇もいない星ではある。

 

 

(以上は、闇のダウスからの証言なので、それがすべての存在から見た事実とは限らないと思うけど、一つ、いいかな??)

(僕は、黒き暗黒の星で体験済みなの?)

 

ダウス)そうだ。

おまえは、地球での自由を束縛されて、魂の一部をどこにやられたかというと、宇宙における最下層とも言われる、その星に送られていたんだ。

それは、神々の残骸勢力の、おまえへのこれ見よがしのパワハラと、逆らう者はこうだぞ、という、皆への見せしめであった。おまえはつらい思いはしたが、その星の現状をぐるりと体験して、割と元気にこちらに返ってきた。その結果、強くなった今がある。おまえの愛への意志は、始めと比べてとても強いものとなっている、鍛えれば鍛えられるんだ、どんな存在でもな。そして、おまえをそうしたことで、自分たちの行き先がそこに決められた神々の残骸たちは、文字通り、与えたものを受け取ったのだ。

 

(よくできてるねー。)

 

そう、この話は、作り話にしてはよくできている。信じる者は信じるし、信じない者には、この内容は必要なかったり関係ない世界と言えるのだろう。

これからの世の中は、与えたものが与えられ、それにより、自分を知ることができる、そんな世だと理解していてほしい。

 

(分かった。ありがとう。)

 

長くなってすまなかった。

 

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