水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

僕の母の話と水色のなかまのこと

(僕の普段の状態を以下に書きます。

気が付くと、僕は、頭の中に誰かの気持ちを受け取っていて、人間なのか、人間をサポートする連中なのか、人間のサポートをする連中の元締めなのか、誰なのか、どんな立ち位置の存在なのか分からないけど、自分の気持ちじゃない時が多くある。それが、結構苦痛だ。

だって、そのほとんどが、ネガティブだから。”たすけてください”とかならまだいいけど、”おまえのせいで・・”とか恨み言、何もしてないのに、あとは、僕を指導する声、こうしろああしろ、指導って言っても、ぜんぜん人間の社会にそぐわないような指示アドバイスじゃあ聞く気にもならないし、人の悩みや愚痴を聞いてあげてネガティブを受け取ってやれとか、上司にできないことをして代わりに泥をかぶってくれ、とか、理不尽もいいとこ、そのくせ人間の上司は、自分が僕に頼んだわけではいないので、自分のために僕が犠牲になってることなんて気が付いていないし、好きでやってるんだくらいにしか思われないし。

だから、もうそういう誰かの声に従うのが本当に嫌になっているよ。だから、一応は聞くけど、誰が何を言っても、僕は全部、半信半疑だ。聞く時はちゃんと聞くけど、明日にはもう忘れているよ。僕には日常もあるからね。

こんなに頭に声を入れられてたら、日常にも支障が出てて、いったい、僕は、何のために生きているのかさえ分からない状態。)

 

(こういう状態も、かつて何度も行われた転生のたびに人間に奪い取られた自分の魂の粒子を、今の段階にきて取り戻している最中ということで、それを取られるのが不服な人間とか、その人間を指揮する目に見えない存在が、僕に恨み言を言っているから、と理由を言われたけど、本当にそうした活動が進んでいるのかどうか。)

人間じゃないものたちに具体的に起こること - 水色のなかま (hatenadiary.jp)

 

(僕は、正真正銘、悪くない。人のことも、さして悪いとは思わない、そういう性格なんだ。だから、恨まれる覚えもない。なのに、恨まれさせられているこの現状、僕になら何をしてもいいと思っているのだろうか、ならばやめてもらいたい。)

 

ならば、今日は、お前の母親のことを話そう。自分を悪くないと思うは皆一緒。おまえの母親も、自分を悪いとは思っていない、むしろ、よくやったほうだと自負しているに過ぎない。子育てにおいても、地域活動においても。

 

(・・・・・。

僕は、母が嫌いです。)

 

分かっておる。

今、受け取っているネガティブなエネルギーは母親のもの、それが他のネガティブを引き寄せてもいる。

 

(そうでしょう、そうだと思っていました。僕は悪くないのに、母親は、僕の行動を理解しようとせず、全部に駄目という烙印を押し、勝手な心配をして、結局、それが僕の現実を作り、母親の心配通りの現実が生まれ、僕は迷惑を被っているんです。

母親と僕とは物事に関する価値観が違い、僕がいいと思うことを、母親は阻止したがり、幼き頃からずっと、母親の価値観を押し付けられてきて、それに逆らえぬように洗脳されてきたから、僕は、今までずっと、自分という存在の良さに気が付いてこなかった、駄目な人間だと思っていた。そう思うと、駄目な現実を自らが作り、実際の現実がどんどん駄目になっていく。

そんな僕を救ってくれたのが、今の家族であり、僕を心から愛してくれる妻と最愛の子どもたち、今の家族に巡り合うことで、僕の人生はどんどん向上し、癖で先を心配しすぎても、実際には何とかなっていったりを繰り返すうちに、僕は、少しずつ明るくなっていった。でも、母親に関わるたび、僕は、悪い現実に引き戻されてしまい、痛切に母親から離れたいと願っている。未来永劫会いたくないし、転生しても、自分が天寿を全うし、おおもとの魂に戻ることがあっても会いたくない。二度と行動を共にしたくない。もう十分すぎるくらい分かり、母親が僕にしてきたこと全部が、全体を考えての判断と思わせて、自分本位の計略であり、愛じゃないことが明らかとなったからね。)

 

そこまで分かっていたならば、話が早い。その通りじゃからの。

 

そなたが、母親と連れ添った意味を伝えよう。

こんな風になるなよ、という教訓を、お前に植え付けたかったからだ。もう時代遅れの子育て、母親像、価値観、それらを植え付けられ、子どもの立場として羽ばたけぬは、大いに無念だっただろう。だが、お前の人生はここからが本番、魂をすべて取り戻し終えた頃から、お前は周りのものたちにどんどん頼りにされてくる、それまでに、それまで恵まれてきた旧価値観のものたちが、急激に力を失うから、もう少し待ちなさい。やさしい人が伸びる、やさしくない魂は、凝り固まりて死に向かう。そうした現実をいましばらく眺めなさい。誰がどれか、判断の材料となる、今までの間違った判断が、そこの如実に表れる、もう力があってもだめ、渡っては行けぬ、やさしさがなければ、やさしさに学ぶ精神が無ければ、自ら自滅する、誰にも自滅は止められぬ。なのに、お前に懇願する者の数が堪えぬ、懇願しても、もう今までのようには魂を与えられない、地球がもう学びゆかない者へのサポートを放り投げたのだ、もういいだけ我慢したし、やさしいものに我慢もさせてきたし、もうその両方で、地球はこれ以上、愛なき者のために愛にはなれない、と叫んで心を閉じた。やさしくなければ、地球にはいられないということ。

 

あらかた魂は取り戻せている。おまえと同じ立場の者に、救いの手を差し伸べよ、それには、自分らしくあるが一番。自分らしくそこに在れ。価値観の多様化、今までは強いものが価値観を作ってきたが、力はもう必要なく、むしろ足かせ、そのままの自分を誰かが馬鹿にすれば、愛あるおまえを馬鹿にしたということで、その者がみなから嫌われ、応援されない道をたどる。おまえも、地に足をつけるところがようやく見つかった、それまでそうした場所を奪われてきたから引きこもっていたにすぎない、自ら外に出よ。そして、我が子にもそれが見つかり、我が子も外へ出るぞ、そのサポートを頼む。場所さえあれば、みな羽ばたけるのだ、それを、我がまま欲張りなものが、場所を譲らず苦しめ、意地悪で誰がしかを追い出し、我が物顔で在り、幅を利かせてきただけじゃ。場所は、人数分あるのに。そうした者がどいた後、お前、我が子、そして、よその愛あるものたちが、少しずつ外へ出てくるから、もう大丈夫。やさしい社会しか、この先はないから。誰をも批判をせず、ただ、自らの得意を追求し、そこに在れ、それが、幸せへの近道じゃ。

 

(母親は、なんなんですか?なぜ、僕をこんな目に?親の気持ちとは思えない。)

 

幅を利かせたかったのじゃ。幸せが、幅を利かせることなんだ、人間とはそういうもの。だが、もうそうした価値観は通用せぬから。見てわかると思うが、地球が誰を助けたいか、人間には分からずとも、地球とか、地球に住む目に見えないやさしい生き物たちは、ちゃんとわかっているから、あなたのやさしさを。

 

(それだったら嬉しいけど。少なくとも、家族は分かってくれているよ。)

 

そう。だから、お前たちにはしあわせしかない、愛しかないから。

 

(うん。家族がいるだけで、幸せだ。)

 

そうした者たちを、地球は救うだろう、また、まだ今の段階で試される人もいる、千差万別、しかし、仲間は増えていく、そう、水色のなかま、つまりは、水色とは地球、地球のやさしい生き物たち、つまりは、地球の化身も水色、そして、健やかなる魂は、すべて、水色なんだ。題名の意味には、そんな意味があった。これからは、お前が、そうした地球のなかまの声を書き記していくがいい。今までは、天からの声、ここからは、地球の声、地球の化身の声、味方、なかま、なかま・・嬉!

 

(来た・・!)

 

もう、一人にしない、水色のなかま、いる、だいじょうぶ、・・

 

(うん。)

 

・・私に戻るが、

おまえの人のなかまに伝えておく。

この先は、そなたらの人生を謳歌し、愛に、やさしさに満ちた世界をまず自らが立ち上げ、自らが一歩進むのじゃ、癖を捨て、今までの常識を覆し、・・

 

(言うは簡単ですよ。)

 

うむ。

 

(でも、僕は、一歩ずつ歩く。このブログを書くのだって、公開するのだって勇気がいったんだから、次なる一歩をできることから一つやる、目立たぬように、少しずつ、僕の性格。笑)

 

そうだ。

みなに勇気を与えてほしい。

 

(みんなには、すでに勇気があるから大丈夫だよ。)

 

そうだな。