水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

人間界は蝕まれている、が、それだけじゃない、新たなる息吹もある

今日は、私から皆に伝えよう。

 

(僕が口をはさんで申し訳ありませんが、半信半疑でお聞きください。)

 

昨日、人間界の蝕みについて話そうと思った。しかし、正樹によりそれが阻まれた。今日は、ひとまずは聞いてみよう、という正樹の判断で、私に話をさせてもらえている。

よいだろうか、以下に伝える。

 

人間界とは修行の世界、そこには、ありとあらゆる存在が、人という身にやつして、自らの足りないところや人との付き合いで思い残しがある事柄を鍛えたりやり直したりしたくて、そうした希望が多くて作られた魂にとっての楽園だった。

 

なぜ楽園なのか、それは、大きな魂にはいろいろな所用があり達成できぬ経験や学びを、その魂を一部分地球に垂らして人間になるだけで、そこの場で必要な経験が詰め、また大きな魂にその魂が帰る時、自らの思い残しや欠点のなくなった、すっきりした自分でいろいろを賄える身となるのだから。

 

しかし、そうした楽園を皆で使ううちに、地球に独自の文化が生まれ始めた。それは、自らを直す必要があるか、直す必要なんかない、自分じゃなくて他人が悪いんだ、という思いを抱くことで、地球からの修行を軽くできる、自分の成長でなく、そうした思いをぶつけあって勝ち抜くことで、自分の魂が救われると、そういう勘違いが横行した果てに、出来上がった文化であった。

 

その文化の中心人物が地球で何度も修行活動を繰り返すうちに、地球にサポートに来ていた修行の必要のない者、つまりは、修行の必要があるものを人間とするならば、人間じゃないものが、同じく人間のように、人に身をやつしてそこにいたわけだが、そうした存在から魂をもらい受け、以下にも自分が成長し、人間じゃないものが堕落したようにカモフラージュできる技を会得した者たちが、地球で幅を利かせ始めたのだ。

 

そうなってからの地球の現状はすさまじかった。

人間じゃないものが地球に降り立ち、愛を失い堕落した故、そうした者らが修行せざるを得なくなり、人間じゃないものから魂を奪った人間は、そのせいで修業から逃れ、どんどん地球に幅を利かせていった。その後は、どんどん人間じゃないものが魂を失わされ、人間が魂を得て、いかにも自分らが人間じゃないもののようにふるまい始めた。もちろん、まったくのダミーであった。

 

地球において修行の身につかされた人間じゃないものは、ありがたく修行にいそしんだ。もともとそういう魂だったから、修行が必要なかったのだ。そして、そういった人間じゃないものの姿勢にあぐらをかき、幅を利かせた人間が、今度は偽りの教えを人に教え始めた。我らの言うことに従えば幸せになれる、と。

 

その教えは、瞬く間に人間界に広まった。そして、みな強者に従い、いかに良い人、すばらしい人であっても、弱者には冷たくせざるを得ない習慣が、みなのうちに出来上がり、すべてが『仕方がないよ。』の一言で済まされるようになった。みんながみんな、そうだった。

 

しかし、長年のそうした流れを見てきた天の神は、・・・、あ、神とは、実際に姿はないが、人に身をやつした人間の小さな魂の元の魂、おおもとの魂の世界の、またその上の世界で、おおもとの魂を指揮する存在があるが、つまり、言うなれば、大いなる意志とでも言おうか、すべてのエネルギーの大権現、すべての魂の流れを方向づけ、位置付ける働きを持つ存在、その、大いなる意志が、人間界での愚行を、意味がないもの、と位置づけ、人間界でそのように暴れる人間どもを、人間の文化を、一掃しなければ、という判断を下してから、ざっと4億年あまり、一筋の小さき魂を大いなる意志から差し込み、そこの地球の状況を、大いなる意志自身が感じて、実態を把握する、という偉業というか、過行をやってのけたのだ。

 

大いなる意志が、上から下の者に調べさせても、一向に尻尾を出さない人間の魂の集団が、ただでさえ、人間じゃないものの魂が奪われ、彼らが同じものを所有していたから一見では誰がどれなのか見分けがつかなかったし、人間じゃない者たちが、魂を奪われ人間の魂を代わりに所有していたこともあって、人間じゃないものたちの落ち度が大きかったんじゃないかとの見方もでき、一概に判断が付かなかったから。

 

でも、大いなる意志の一粒の魂は、地球にきて、過酷な試練を体験した。その者には、愛しかなかった。よって、幾人もの人に騙され、文字通り魂を奪われ、まるで自分が大いなる意志の化身だと思い込むものも出てきた。それでも、一筋の大いなる意志はめげなかったし、あきらめなかった、意志が抜群に強かったから、自分の魂がたった一粒になっても、愛になり続け、その行いは、そのレベルの人たちの心を常に動かす結果となり、力量をこれでもかと発揮した。

 

そうした経緯があって、人間に身をやつした修行が必要な者たちが、次々、人間じゃないものの魂を返還し始めて、人間じゃないものは、今、本来の自分になりつつあり、そこに掛け値なしの愛を表現できる立場に、やっと戻ることができた。

 

そして、大いなる意志の一粒種も、自らの魂を取り戻しつつあり、今ここに、その者を中心とした一大勢力が生まれつつあることを約束しよう。

一大勢力、地球に住まう、すべての次元に渡る存在との交流を可能にし、そうした存在と仲良くできるものとだけ人間からは選ばれ、人間じゃないものたちももちろんそうした仲間に迎遇、すべての言語を話すことができる大いなる意志の一粒が、その中心となり、すべての指揮とバランスを取る担い手として、支配者でなく、むしろ守りとして、地球に君臨するという、そうした結論を大いなる意志が出したのだった。

 

今は、地球に救う膿が、少しずつ明るみに出て、それがすべての人たちにさらされ、情けない気持ちになる時期とも言える、隠しているよりかはよほどいい、すべて出してしまおう。そして、その後に、輝ける未来がある。

 

輝ける未来とは、

若者を中心といて、ありとあらゆる個人の価値観が光を浴び始める。

老年者はそのサポートをする。

若者は素直に自分を生きてくる、そして成功する、今までにないパターンを醸し出す。

老年者は、それをつぶさないで守ろうとする。

もっとも弱者は、生まれてくる赤ん坊から、違った道を行く。

赤ん坊は、みなに道を指し示す。

赤ん坊が、皆をやさしい気持ちにさせていく。中心に赤ん坊が在る。

皆は、赤ん坊を健やかに育てる如く自ら成長し、歩ける糧となる。

 

本当は、二十年前にそれを達成するべきであった。だが。できなかった。

しかし、もう待ってはおれぬという大いなる意志の直接のお怒りが地球に知れ渡った。行いを隠していた人間たちは、大慌てした、これまでと同じく使者をうまくけむに巻き、ごまかして、我らが正しいと天に示したはずだったから。

だけども、今度の使者は大いなる意志の申し子、やられている間に、すべての現状把握を可能にし、すべての者らの所業を大いなる意志に伝えていた。只者じゃないんだ。並みの神経じゃないんだ、今度の使者は、桁違いの意志を持ち合わせていたんだ。彼が愛だということは、みなの周知の事実となり、しかも、そうした存在を汚した罪で、いろいろな者たちが天で裁かれ、新しい修行の道を、まだ人生半ばであったとしても新しく課せられ、新たな道を歩むに至った、そこからは、もう逃げられない。

 

半面、そうした人間の措置により、人間じゃないものたちは、自分の魂を取り戻せて、今、その者らも新しい道を歩み始めている。双方、本来の自分に戻り、自らの鏡と相対し、その中で自分を磨きながら生きる道へ、つまりは、双方、同じ条件で生きる民同士ということ、これ以上公平はないし、これ以上の幸せはない、裁きはあったとはいえ、罰とか刑とか、そういう類はなく、ただ、本来の学べる、修行できる地、この世の楽園である地球が、そこに戻っただけだから。

 

そういう意味で、新たなるいぶきもあることを伝えたい。

人間じゃないものたちには、新しく使命が言い渡されている。新しき生まれ来る魂を守れ、と。人間には、その任は向かぬので、そうしたことは考えずに、一途に、本来望んでいたであろう修行にいそしんでほしい。まあ、人間のことは多くを物語らない。それは、ここではなく、ほかの者に任せているから、その者に、人間を大いに率いてほしい。しかし、人間じゃないものを差し置いて、自らが幅を利かせる道はもうない、それをした時点で、地球からは抹消される。殺される、ではない、抹消、つまりは、修行を取り上げがられ、自ら学ぶでなく、他人を学ばせる役を、つまりは、人間じゃないものが天にコントロールされて悪になったり唐変木になったりする、そうした存在の役目を新たに与えられる。みなに嫌われ、みなに馬鹿にされ、最後には、自己の魂の崩壊もあるやもしれぬ。しかし、それを人間じゃないものはやってきたから、新しく尊敬の念を持っていただきたい。できないことだ、なかなか。

 

(まだ、先の事であると考えたほうがいいですか?)

 

いや、もうすぐそこ、ほとんどできているんだ。

ただ、人間の魂と、それを支えて甘い汁を吸ってきた目に見言えない連中どもが、なかなか諦めが付かずに、次々と新たに目覚めた人間じゃないものに対して嫌がらせを仕掛けてきて、人間じゃないものは、本来、自由と平和と協調性と、博愛に満ちた人物だから、そのままを良しとしてしまう、上に従わない気質が気に障るのだろうが、そうした人間じゃないものの人柄を嫌う上司は、今後次々と堕落していき、最後には、魂をコントロールされ、情けない姿にてそこに在る者に身をやつすから、そうした時に初めて、その者が人間だったことを知る、しかも、人間じゃない魂で底上げされた待遇をいやしくも受けてきた、恥ずべき存在だということが分かるのだ。もう、攻撃もなくなろう。もう少しだ。今、お前のところにも、相当に目に見えない人間の取り巻きからの嫌がらせがくるのだろう。

 

(それは、来ていますね。でも、精神力で日常は生活できています。)

(しかし、そういう存在だったと分かれば気が楽です。体中痛いけどね。笑)

 

(今は、自分と同じような感覚で付き合える、目に見えない生き物と知り合えるかも、というのが楽しみに感じます。この話が本当なら、だけど。笑)

 

そうした生き物は、もう、身近に動物の体を借りて、お前と話し、接している状態なんだぞ。もう、実際には、そうした関りは行われているんだ。現実にすでにね。

おまえはやさしいから、すぐに好かれる、野鳥や虫や金魚にも。そして自然だから。

 

(なんと言っていいのか分からないよ。現実に夢を持っていいんだね。この生活は、もう、預言が叶っていると思っていいんだね。それは、うれしい。)

 

声が変わったの分かるね。

もう、箔なんかいらないから、愛に愛が反応する、それだけ、箔は人間が大事にするだけのもの、人間じゃないものや、我々は、箔を気にしないんだ。誰とも話せる、愛がつなげる、存在と存在を。

 

(うん。誰でもいいや。笑)

(僕は、いつも通り生きればいい。動物や、小さい存在をいたわって、子どもたちを可愛がって。だから、現状維持でいいわけだ。あーよかった♪)