水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

今日やりたいと思うことを一つずつやっていこう

あきらめる癖を持つ、人間じゃないものたちよ。

地球に生きて修行と自己の改革や、前世でやり残したことができるまで繰り返し生きる人間を、陰で支え、人間の社会をまろやかに潤し、潤滑油の役目をなし、生きてきたせいで、人間じゃないものたちは、自らの人生において目標もなく、好きなことやなさねばならぬことも持てず、それらを感じるより先に、どうせできないとあきらめる癖が多分についてあると思われる。その自分を、少しずつ払しょくしていかねばならない。

なぜなら、この先の人生は、主役が人間じゃないものに移り、人間とは接触を切り離され、人間が放り出した仕事の穴を、人間じゃないものがどんどん埋めていく作業に取り掛からねばならないから。

 

好きをあきらめてはならぬ。

好きなこと、価値観の合う人と付き合うこと、一般の社会では、それらがあまりよくないと判断されている事柄であっても、自分の感覚を信じて、好きと思うことをやり、やりたいことをし、送りたい生活を送り、金銭のことを気にせず、まずは、自分の身の置きたいところに身を置き、自然に過ごしてみなさい。そうすれば、道が開けていく。

 

(僕の場合からすると、興味のあることは全部やってみています。DIY、料理のチャレンジや、手作りアクセサリーの勉強、フリマアプリでリサイクル、ブログ、出しゃばりかもと思ったのだけど義理の実家の大掃除・・、あとは、子どもや弱い存在をいたわり、動物を大事にし、それらを段階的に日々レベルアップさせています。子どもに対する接し方には、日々どうしたら最善かな、と考えを巡らせていて、年を取っている愛犬には、快適な環境を与えるべく、日よけや餌のあげ方、可愛がり方等、日々工夫していて気持ちも充実しています。今、引きこもりだから、時間がたっぷりある。笑)

 

そうした時間こそが、天からの贈り物ととらえられるだろうか。

そうでなければ、おまえは一生、社会からこき使われ心を失い、金銭を得るために愛を犠牲にし、やさしき人を見放す決断を何度も何度も繰り返しただろう。幼き魂である我が子に対しても、無理を強いただろう。その悪循環を、まずは切り離してもらいたかった。

 

(たしかに。・・でも、お金の心配は、どうしても生活がかかっているから。職場でも、自分の意見を持つことは、上司や同僚に嫌われて仕事がやりにくくなるから、やはりできませんでした。)

 

社会がそういった仕組みを作ってしまったから、犠牲者は数知れないよ。

 

(・・・。)

 

心が痛むようになったのは、よい傾向だ。

 

(・・・。)

(今は、引きこもりですから、もう開き直っています。妻が働いているので、心配するほど経済的に困ってはいないし、子育てや家の仕事が、僕には向いていました。物作りも好きです。DIYは特に。・・心も、。)

 

まずは、気持ちの充実が第一。そこに生きる価値を自分が見つけるということ。その後、少しずつ道が開けていくから、どこまでもしたいことをするチャレンジの段階と思いチャレンジしていくうちに、次の場、次の場、と場が引き寄せられ、いつの間にか、仕事が手に入っている、経済的にも安心できる、所詮人間じゃないものたちは、ぜいたくを好きに思わず、効率とかリサイクルの喜びなど感じられる種族じゃから、ぜいたくはせぬため金銭もわずかでいいのだから。

 

そして、その後、コミュニティーが広がり、リサイクルと循環する魂の輪が広がり、地球の資源を余すところなく使い、また拾いの仕組みが出来上がっていく、つまりだな、・・

 

そうした試みには、宇宙全土が協力していくのだ、それこそこっそりと術を与えていくような形で、それには、人間じゃないものがどんどんコミュニティーを形成していかねば、そこに助言や助け船が与えられるのだから、そうした形が明らかに出来上がれば、いっそう無毒な資源や生産物や物資の循環のノウハウや、実際、愛をつかさどる能力者でなければ入れぬ場所などもできてきて、一気にそなたらの存在の場が社会に広がっていくのだから。

 

(すみませんが、半信半疑で聞きます。今のところ、無理かなと思っていた義理の実家のお手伝いができたことしか、僕自身の世界はひろがってはいないから。)

 

おまえが代表となり、コミュニティーを作りなさい。あらゆるところでそれをやりなさい。

 

(僕は、職場という職場で、ずっと虐げられてきたんですよ、やる気があるのになぜかできない、理由もわからず怒られ、嫌がられ、きつい仕事を与えられ、面接には受かるんだけど、僕をいいように使うためだったのかとがっかりしてきた、傷ついてもきた、他人が怖いんです。無理はしたくない。)

 

自然の成り行きとして、そうなっていくわい。笑

 

皆も聞きなさい。

好きなことをしなさい。時間があるのなら、のんびりが好きならのんびりしなさい。

やりたいことをしなさい。やりたくないことは断りなさい。断らなければ自分というものが見えず、一歩踏み出す道がぼやけてしまう。

新しい世界ではの、普通はいらぬ、極端で良い、個性がすべて、喜びがすべて、我慢する必要はない、小さき者がその道を見つける名人じゃ。わがままと思うな、素直ととれ、それに従ってみよ、親も、大人も、皆でしあわせとなろう。

 

(僕は、家庭的な仕事が好きだから、それしてたらいいんだね。罪悪感もいらないし、僕ばかりにさせて、という気持ちもいらない。)

 

そういうこと。

おまえは、母親に多大に魂を提供して母親をずっと助けてきたから、その分、母親の感覚がいまだ抜けず、家事をやらない家族を、時々快く思わない時があるが、それも、母親の魂がおまえから消え去り、お前の魂だけになれば、すぐに健やかに働けるから、まっていなさい、もうほとんど自分の魂を取りもどしている。

 

(もう、母親だけですか?僕の魂を握っているのは。)

 

そう。ほとんど母親が持っていた。それだけ心がネガティブで、そんな心人に見せられないから、夫にも隠したかったから、お前のものをいただき返すことが無かった、おまえをいじめた理由はうらやましかったのもある、しかし、もう時間がない、返せと地球が、全体のエネルギーが彼女に迫り、死ぬ前に返され、苦しみを持ち、前世からの毅然とした態度が揺らぎ、自らの全く足りないを知り、次の生へと送られる、永遠の修行に入る。愛を冒とくした者は、特に冒涜し続けて相手をコテンパにし、愛の粒子を取り上げ続けて自分に使い自分勝手な価値観をそなたに押し付け続けた罪は重い。一方で、おまえは、粒子一粒でも愛だったことが証明され、絶対的な信頼を地球と、各方面の存在から得ている、そんなこと、普通に生きていたら気が付けないがな。

 

(ある意味難しい話になりました。ここに書いたことは、本当ですよと証明できないものばかり、僕は、いつも半信半疑です。)

 

頭と魂は別、魂には届いておろう。それでいい。