水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第6章 自分の歩み ①はじめの一歩

前回のブログから、約6日。

変わった自分でブログを書くのって、ちょっとむずかしい。

なんていうか、あれから一旦、何者かに憑りつかれて『死にたい』心境になった日が二日くらいあり、その後、台風が日本を通るごとにどんどん気持ちが明るくなっていって、昨日などは、特に心が晴れ晴れしていた一日だった。

 

水色のなかま)その現象の解説。

正樹が、『死にたい』心境になった時、正樹が母に背負わされていた、最後のカルマを発動されていた。つまりは、多くの異次元存在によって、正樹は、母の代わりに、母が他者に与えていたものを受け取っていた。本当は、その気持ちは、母が感じるべきものであった。

しかし、なぜ最後のカルマなのか。

それは、母が、正樹に自身のカルマを背負わせることは、いくら正樹が納得済みでも、あってはならないことであり、その補正が行われる中、正樹が本当にそのカルマの持ち主ではないのかが試された。その線が、ぎりぎり母親の正樹への処置がセーフとなる線であったため、世界も阻止できなかった。

その結果、正樹が受けたカルマが正樹のカルマではないことが証明でき、正樹は一時苦しんだが、正樹が持つすべての(母やその他の者から背負わされた)カルマを、一斉返還される運びとなった。もはや、正樹のものかを確かめる必要はなしと。

何度カルマを被っても、正樹はそのカルマの渦中に居ながらにして、子どもたちを守った。それも、育てにくい、癖のあるタイプの子ばかりの家族の中、よく中正を保ち、皆の幸せを考え、それを与えてやった。的外れであっても愛は愛、そんな者が、カルマを持つはずがない。皆が正樹のせいにしない限りは。

 

あー、そうだったんだねー、どうもありがとうございます。

その後、僕は、暴風雨の中、映画『スターウォーズ』を何作も観せられました。まずは、エピソード7~9、そして、4~6を。もしかしたら、この後、1~3を観るのかな笑。

映画を観て、いろいろ学ぶべきことがあったから、僕自身が観たくなって観たのだけど、なにかのお導きかと思う気持ちもあったので、観せられた、という言葉を使わせていただきました。

(※以下にネタバレがあります。)

 

 

水色のなかま)映画を観せられた、の解説。

確かに、われわれによって正樹はそれらの映画を観たい気持ちになった。

さらに言えば、ディズニー映画を観られる環境に正樹を導いたのもわれらだし、そのために、正樹の娘を使って言葉をかけさせ、そちらへ誘導したことも明かしておこう。すべてはインスピレーションで良き方へ動かされるのが人間ということ。

また、正樹が観た映画で、正樹が何を学んだかは他者に伝える必要のないことで、ここでも書かないでおく。そして、皆にも、こうした場合に、皆々の独自の学びや導きが個々に与えられ、それぞれが自ら学んだことを糧に、そのままの自分で人生を生きていく機会が、この先それぞれに与えられていくことを伝えておく。ここは、重要なことなので。

 

やっぱり、みんなに共通にあることなんですね。

 

水色のなかま)映画を観ての学びの種類はそれぞれあり、人に教えることではない、ということは、固くご忠告しておく。皆は、誰をも手本にせず、誰についてもいかず、皆自身の道を行くようになることをお伝えしたい。

 

はい。分かりました。

それを聞いて、長らく孤独感で悩んでいた気持ちが、いっぺんに吹っ飛びましたよ。つまりは、それが当然で、人同士、友好的に関わることはあっても、どこか独立した存在でいることが当たり前だったのですね。他者に理解してもらえない部分は、当然、それぞれの人々が持ち合わせているのだと。

 

水色のなかま)そういうこと。特に正樹は特殊なので、どこにも理解してもらえないだろう笑。しかし、それこそが良さであり特技につながる個性だというもの。つまりは、そのままでいいのだ。

 

はい。よかったー。

 

水色のなかま)あと、分かったことがもう一つあったな。

 

はい。

僕は、今まで、異次元の存在との関りが(または、霊感が)あったせいで、生家の家族ともうまくいかず、大人になって就職しても、職場の方々とうまくいかなくて長続きせず、果ては、社会のどこにも居場所がないことを悩み、そんな自分を何もできないダメな人間と思っていたんです。人間社会でお金を生めないなんて、大人として価値がない、と。

でも、今の僕は、今までみなさんに拒否されてきたのは、そこが自分の居場所じゃなかったからだ、と思えるようになって、無理しなくても僕が追い出されない場所が、つまりは、我が家以外に自分の居場所がどこにあるのかを、楽しみにできるようになりました。

 

水色のなかま)それと、異次元の出来事については?

 

はい。異次元でも、これからの僕は無理をしないようにしてみます。

異次元には、僕の思考が筒抜けですから、考え方や生き方において、自分の領分から出すぎたり、引っ込みすぎたりしていたら、必ずネガティブをもらうでしょう。それを繰り返して、自分の生きれる道を探っていこうと思っています。

つまりは、無理しないで、そのままの自分でいられる場所や生き方こそが、自分の道なのであり、それを、自分の中道の道、というのではないかと思いました。

 

水色のなかま)それは、そのとおり。

中道の道とは、どういう道なのかな、インターネットでまず調べてみなさい。

 

はい。僕も、お釈迦様の漫画でその言葉を知った程度で詳しくは言語化できてなくて。

ええと、中道の道とは、無理しないでいられる道、・・・あとは、仏教の難しい説明が多くて、僕には読んでもよく分かりませんでした。すみません。

 

水色のなかま)では、自分の言葉で言ってみなさい。

 

はい。僕の思った中道の道とは、・・

誰にも属さない、自分の道のこと。

自分が独自に生きることで、誰の独自性をも認めることができて、誰のことも批判的に思う必要がありません。よって、誰にも批判される恐れのない道ともなります。結果、誰ともぶつからない道であり、自分も楽しく、他者とも友好的に生きれる生き方だと言えます、と、こんな感じでしょうかねー。

ちなみに、僕は、異次元で、そのへんをすごく鍛えられてきました。

異次元では、嘘つけません。異次元には、自分の感情や考え方がだた漏れです。よって、僕が他者の領域に属したり、誰か寄りの考えを持つとものすごく襲われる笑。でも、自分がやりたいと思うことを楽しくしていたなら、僕は、だれにも襲われないんです。みんなに許される。

つまりは、現実でも異次元でも、誰にも襲われない生き方が、きっと僕自身の中道の道だから、襲われたらそこからは引いて、みんなに許されることをしていたらいいんじゃないかと。背伸びして何かをしなくちゃと無理する必要もないし、自分の中道の道には、最初からそう生きれる才能や材料が備わっているんだと思います。

現実に、僕は、先のことを考えて、家族が平穏に暮らすにはお金が足りないんじゃないかと不安になっていました。だけど、僕の中道の道には、きっと、足りないものなどはないんだと思います。まだ中道の道を歩いていないから分からないだけで、歩けば、このことが、どんどん確信になって行くんじゃないかなーと。

・・って、ちょっとのんきかな笑。

 

水色のなかま)・・水色のなかまの口を借りて、カルマを持つ私から話そう。(以下、a さんとします)

おまえはそれでいいだろう。しかし、おまえの解釈の中道が、正しくないと感じる者も当然多いだろう。そう、答えは人の数ほどあり、生き方は、それこそ人の数以上にパターンが積まれ、選ぶのも貫くも貫かないも、すべてが自由な選択のもとに、個々の人生というものは紡がれていくものなのだ。ここに自分の考えを書くは自由だが、おまえの真似はさせちゃいけない。それがその者の不幸となり、おまえでうまくいったパターンが、人にも合う成功例とは成り立たないのが、つまりは、それぞれの道と言えよう。

時は、皆が一斉に成功に向かって集まる道ではなく、個々の魂が持つ個々の中道を歩くがよいと、そのような価値に向かってエネルギーが流れている。

そのエネルギーとは、映画『スターウォーズ』にあった、フォースというものに近い。フォースは、無理をしない生き方を人々に呈してはいるが、なかなか敵と味方はなくならず、実際は戦いが絶えない世界が常であろう。そういった人々の間に在って、フォースの示す皆の決断と道を伝えるのが、フォースを感じるジェダイの役割だ。

よって、ジェダイは戦いのために力を使わず、フォースにより身は守れるが、いつでもだれにでも公平な心で接して友好的に関わる。暗黒面のエネルギーとも、よき距離を保つ。

ただ一つ、ジェダイにもいろいろあって、暗黒面に強いタイプとそうでもないタイプとあり、暗黒面に強くないジェダイは、暗黒面を持つ人間を、とてつもなく危険とか恐怖に感じてしまう。自分にそのエネルギーを持つのが無理だからだ。

さあ、正樹は、闇も光も知っているが、どのくらい闇に強いだろうな。映画のエピソード7からの”レイ”は”ルーク”よりも暗黒面に強く、正樹は、この”レイ”に、いたく共感しているようだったが。

 

共感はしたよ。そして、自分の意志が強いことは素敵だなーと思った。

でも、僕はジェダイではありません。そして、ジェダイみたいな力(いわば、エネルギーの流れを感じる力)は、今後、特別じゃなくなると思うよ。そこは、映画と一緒だろうなーと。

今後の地球では、ジェダイのような道案内の使者はいなくなり、その代わり、みんなが、自分の中道の道を探せるようになる、だから、争いもきっとなくなっていく、僕は、そうにらんでいるけどね、どうかな?笑

 

水色のなかまに口を借りているaさん)そうだな。ふっふっふ

おまえが誰寄りにもならないことで、おまえを好きと思う仲間も今より変わっていくだろう。それを寂しいと思わなければいい、または、誰かに自分寄りになってほしいと懇願されたとき、おまえは断れる強さを持っていられるかな、そこが疑問だが。

まだ生き方を知ったばかり、この先も思った通り生きれるかは不明、頼りないことだ。

 

そうだね笑。この先の自分かー。

まぁ、毎回言いたいことを言って、恥ずかしい思いもしていこうと思います。

それが、どこか、僕っぽいね笑。

 

 

(↓ これから、エピソード1~3も観てみます。