水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第5章 こもの屋へようこそ ⑯水を得た魚の愛ある人々・アセンションが気持ちよく感じる人がこれからくる

水色のなかま)今日も、われわれからお伝えしたいことがあるのだ。

正樹が、これまでは、どっちつかずの状況だったから、今日のタイトルの話をすることができなかったのだが、正樹が自分の感覚を信じ、自身の存在を認め、自身こそ自分のままであるべきだと心から思えた結果、われらと心を通じることができた。これまでは、他種族に魂を奪われ、他種族の価値観の中で生きるを余儀なくされてきたために、正樹が自分の個性を信じるまで、だいぶ時間がかかってしまった。

しかし、そうした長い間の強い洗脳が解け、愛されるべきはずの母から愛されていなかったことを悟った時、正樹は、この母に関わるを辞め、次なる存在に尽くし始めた。その転機こそが良かったのだ、その判断が功を奏した。

 

母との生きる方向性の違いに気が付きましたから、このまま一緒にいて母のサンドバック役を続けていたら、自分のしたかったことができずに人生を終わることになるので、それはごめんこおむりたかったんですよ。それで、とりあえず歩きました笑。何をやればいいのか、分かっているわけでありません。

 

水色のなかま)歩けば、家族や異次元の仲間がヒントをくれる。これはどう、あれはどう?と。正樹は、そうしたアドバイスをみんな聞いて、とりあえず取り掛かりながら自分の心の反応を見る、心が喜んでいるのかどうか。その上で、続けるか、続けないか、アレンジを加えるか吟味し、また歩く、その繰り返ししかしていない。

つまりは、生まれつき、一人で歩ける技が身についているのだ。

 

身についているというか、そうしか歩けないんですー笑

ですから、途中でやめる、という判断を悪とか、未熟とか、飽きっぽいとか、根気がないとか、そういった目線で見る方々には、僕は、ただのでくのぼうでしょう。だけど、おかげさまで、人生は楽しく過ごさせていただいております。家族は仲いいし、笑いがあって、今朝も、家族で大笑いしたところなので笑。

 

水色のなかま)そう、今まさに、正樹は、水を得た魚。

 

水を得た魚、・・

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水色のなかま)では、メッセージを始める。

2012年にアセンションが来たと、でも宇宙や神は、アセンションを信じる異次元を認める人々を救わなかったと、そのように思うとともに、次のアセンションは2022年だ、などと思って、少しばかり打ちひしがれた気持ちを慰め、または、アセンション活動を経て与えられた力を今後も行使していこうと、そのように思った民らは、今もってアセンションはし続けているし、今後に特定の年や日付に特別なことが起こったりしないことを知りはしない。

アセンションとは何たるかを、多くの皆が理解していない。

アセンションとは、地球が、そこに住まう大部分の民に合わせて自らの波動を下げていたものを、再び本来持つ波動に上げていく活動であり、地球の生命エネルギーの発展と向上と、拡散と、飛躍と飛翔と、次元的な成長と、そして、地球の立志・地球の自らのそのままを認める心の確立と、地球の能動的な心の働きの開始・愛ある者を愛したい意志の実行と、そういった、地球が、精神と肉体の成長を遂げるという、いわば地球の成長期のことをいうわけだ。

はたして、地球のそれに、地球に住まう民や異次元の生き物たちが、ついてこれるのかどうか、という課題が、今、人間にも与えられている状態であり、人間がどんな状況であっても、地球のアセンションは着々と進み、いろいろな、地球の新しい波動にふさわしくないものが、一つ一つ、地球からはがされている状態であるということ。

それは、人間の組織だったり、創作物であったり、暗黙の了解であったり、長いこと続けてきた決まりであったり、常識であったり、はたまた、建物や、土地や、人間そのものであったり。

その一方で、これまでの低い波動の中ではその形態を保つのが難しかった組織や創作物、暗黙の了解、決まり、常識、建物、土地などは、だんだんそこに存在するのがつらくなくなってきており、高い波動を持った人間もまた、どんどんとこの地球に住むのが容易に楽になってきているのだ。正樹もその部類と言えるだろう。

 

確かに、だんだんとそうなっているように感じます。気のせいかもしれないけど。

 

水色のなかま)よいかな、もう一つ話しておく。

今後は、誰かに、地球にアセンションがあっても絶対に救うと言われたり、または、仲間のままでいて互いに助け合い協力し合って強く在れば、必ずこのアセンションを乗り越えられる、との思い込みを、かたくなに信じているような人間は、その思い込みを間違いだと思い知らされる事態に、必ずや見舞われる。そのことをここで宣言しておく。

そもそもアセンションとは、人間が団体でいてどうにかなるものではない。地球の波動に合わない団体ならば、その団体ごと憂き目にあうし、活力は奪われるし、地球はそういった団体に、生命エネルギーや愛のまなざしを向けることはなくなっていくため、アセンションを超えるために集団になっても意味はないと言える。

では、人間はどうしていたらいいのか、それは、やはり、愛になるしかないわけで、愛無き者は、これからの発展・成長していく地球に合わずに、どんどん力を失うだけ、助けるとか救うとかの誰かの言葉もむなしく、それは不可能だったと思い知るだけ。

一方で、愛ある者は、地球に愛され、地球を愛する存在たちにも愛され、そうした仲間内で、上手に愛エネルギーを循環させ、その循環に、再び地球が愛を与え、愛エネルギーの強く・深くなった輪の中で、安心して自らの所業や暮らしにいそしめる、という状況を手に入れる。まさに、水を得た魚のようになる、このことが、逐一大事になる。

 

逐一大事になる、とは・・?

 

水色のなかま)今まで、地球から搾取してきた人々よ。地球を愛する者をいじめ、その者らのエネルギーを搾取し、地球に負担を与えてきた者たちよ。もう地球は、そういった存在を愛さぬと決心してしまった。だから、もうどうにもならないが、自分が与えてきたものを与えられるしか、道はないのだが、

そうでなく、地球といつでも心を一つにして、地球に住まう人々を助け、愛し、理解し、今、ふつふつと力が沸き、新しいことにチャレンジしてみたい気持ちが沸き上がってきている民たちにとっては、この先が、その者らの真骨頂と思い、今後の社会生活の主な担い手となって、どんどんマイペースでいいので、社会進出していってほしいと、そのように地球は感じておるわけで、

つまりは、これまでは、地球の上の現実社会で強い者や外見的に美しかったり、能力があったり、そつがなかったり、ぱっと見リーダー性のあるような人物が、重んじられたリ、もてはやされたり、高い社会的な価値を得ていたりと、そういった社会的価値観だったものが、今後は、地球に住まう者たちの持つ価値観でなく、地球自身の価値観のもと、地球と合うような人物・存在こそが、地球により重んじられ、もてはやされていく世の中となって行くために、そういった現実社会が知らず知らずのうちに出来上がっていくということ。

ここまで話せば分かるだろう。

 

はい、だいたいは。

 

水色のなかま)正樹、おまえは、水色のなかま出身の魂、よくそれを思い出してくれた。これまで、魂をいろんな異次元存在に取られていたために、自身を見失うこともあったが、それすらも、他者のカルマを背負い、楽にしてあげて、何とか愛ある道を歩んで、今この時アセンションの時に、どうか地球から振り落とされることなく生きられますように、と、そういった、他者へ対する祈りの気持ちがあってしたことであり、正樹の表面的な失敗や挫折や、愛なき行動等においても、なぜそうだったのかを地球は深く理解しておる状態なので、これまで歩んできた、長くて細々とした魂の歩みでさえも、実は、太くしっかりとした愛のロードを決して外れることはなかったことを、ちゃんと理解しているのだ。

正樹のような人物は、他にも在り、これまでの苦しみを脱ぎ、この先は、水を得た魚のように、生き生き生きてほしく思い、仲間と出会うことを楽しみにしていてほしいと、そう願っている。

 

そんなに言ってくださり、ありがとうございます。

 

 

水色のなかま)最後に言いたいことがある。

地球のアセンションは、宇宙でもなく、異次元でもなく、科学的でも非科学的な幻想や想像でもなく、現実なことなのだ。現実に起こっているし、今の日本の社会を観れば、やさしさや愛が大事になってきてる社会現象が、アセンションの進み具合を如実に表していると言えよう。

今後も、この現象は進み、それでも人をいじめ、人にパワハラを与え、人の力を奪うような人物は、その行動を地球が好かぬという理由で、地球はその者への愛エネルギーの挿入をやめ、その者の体は、どんどんむしばまれていくだろう。

それは、至極自然なことであり、この地球にいる以上、地球に命を預けている状態であることを肝に銘じ、体の不調の理由をどうか理解してほしい。

生かされる者、生かされない者がいることは、本当のことなのだ。

生かされた者たちは、どうか図々しいと思わずに、自らの夢をかなえてほしい。その道こそが、愛ロードであり、自分のしていきたい生き方を構築することが、地球や地球に好かれた人間を救うこととなって行くのだから。

これからの社会には、あなた方が必要なのだから。