水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第13章 地上で生きる道 ➈地球での学びって何?

僕は、現実世界を生き、異次元でも各種の異次元存在らと関わって生き、いろいろな異次元からのメッセージを受け取ってもきた。今、そんな僕が積み重ねてきた経験から、いろいろな過去の事象や出来事が、自分の中で繋がり始めている。

うまく説明できるか分からないが、とりあえず書いてみようと思う。

 

 

まず、話したいことは、前回のブログを書いた後で見た光景のこと。

僕が見たのは、現実世界に生きるある特定の方々のエネルギー源、もしくはその人の平和的な生き方を助ける野蛮な魂の緩和剤として、多くの水色のなかまが異次元的に繋がれていて、その水色のなかまたちが、意識を無くして横たわり、力を無くしている光景だった。

 

僕は、反射的に、”これは水色のなかまがかわいそうだ”、と思った。これを推奨する異次元組織からは、水色のなかまとの共存の形であり、地球で互いに助け合い協力しているんだと言われたが、僕には、片方の種族だけが力を失っている姿から、どうしてもそんなふうには思えなかった。そこからは、繋がれていた水色のなかまが、次々に、エネルギー搾取カプセルから解放されていった。

僕は、”よかった~”、と思った。しかしその後、この状況をよく思わない異次元の存在らが僕のところに来て、現実での生活の邪魔をしてきた。僕はその日、大きな事故こそなかったが、車で自宅の柵を傷つけ、仕事の下見で出かけても、どうにも以前行った場所が見つからず、頭の左脳を閉じられている感覚を覚えつつ、自分の力の無さを痛感して帰ってきたし、子どもらもいつになくネガティブで、落ち込んだり寂しがっては僕に執拗にまとわりついた。

また、その翌日は、僕は、自分に何者かが入り込んでいるのを自覚していて、どこか僕でない価値観で子どもらと接するおかしな僕が、しゃべったり考えているのを感じていた。・・その時のおかしな僕とは、子どもらの自堕落さに厳しい僕。手伝いができる能力や時間があるのに手伝わない子供らに、威厳を持って次々やることを伝える僕。子どもらは渋々ながらも僕に従い、わりあい上手にこなしてくれた。いつもの僕の言うことは全くきかなかったのに。

しかし、この感じが、これまで異次元組織が、僕から(時には子どもらを使って)エネルギーをいいだけ吸ってきた結果、僕が、誰も学べず得しない意味なき負担にうんざりして、水色のなかま寄りの考えになってしまった僕をとりなし、これ以上僕が異次元組織を嫌わないための、つけ焼刃的な処置に思えて、改めて、”なんだかな~・・”、という気持ちを抱いたんだ。

 

 

瀬織津姫)ここからは私が話そうか?

 

うん、ではお願いできるかな。

 

瀬織津姫)正樹の今の状況。

正樹の説明から分かる通り、これまでありとあらゆる異次元存在が、与えたものを与える特徴を持つ地球にて存在できたのは、多くに、彼らのエネルギーを与えて横たわるしかない生活を続けてきた、地球の使徒である水色のなかまの犠牲的献身によって可能とされてきた。

水色のなかまの犠牲的献身が培われた背景には、古くには、古代の神である菊理姫が地球に落とされ、瀬織津姫、つまり地球の化身である私が、地球のエネルギーにより穢れそのものであった菊理姫が木っ端みじんに砕けて消えそうになるのを助け、私の魂を菊理姫に与えて地上にて生かした、そこから端を発している。

詳しくは以下に書いてあるが、↓

 

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

菊理姫は、私により地球にて存在でき、地球にて現実世界で人間としても生きられた。しかしとうとう心は愛を持ち得なかった。

私の魂は、今は、菊理姫から取り戻されて、菊理姫は、自分の魂だけとなり地球で今は苦しんでいます。地球は、与えたものを与えるのです、愛でない者には愛でないものを与え続けます。現実世界では、自分が放出する物と同じ体験が与えられるために、隠していた自分や知らなかった自分の姿に出会います。今、菊理姫の分霊は、現実世界で人間として、自分と同じ、鏡を見ているような体験を繰り返しているでしょう。おそらくは、人にののしられ、人にそねまれ、人にはめられ、迷惑をかけられ、自らを助ける者は技が下手な者ばかり集まり、自らから何かを奪おうと近づく者に囲まれ、その者らへの不平不満が溜まるたび、ふたたびそれ以上の特徴のある人物たちがそこには集められていくでしょう。

このたび、人間の生きる現実世界で、あまり地球に生きるに能力の足らない者のために、水色のなかまがずいぶんと尽力していました。その犠牲的な献身は、地球で生きる地球の使徒として、菊理姫を救ったその日から、われわれが全部の世界に誇れるべき活動だったと自負しております。自らの身を犠牲にしてでも愛に生きることを学んでほしかった、という彼らの気持ちの表れでした。

しかし、いくら彼らの努力が尊くも、地球に移り住んだ異次元存在らは、いつしか彼らの犠牲的献身を当たり前のものと捉え、それどころかもっともっとと力を要求し始めました。彼らは、人間として生きながら、正樹をはじめとする愛ある人間たちや、水色の魂を持つ人間たちから、乱暴なわれらに愛を教えず見捨てることを罪悪と強さで洗脳し、彼らのやさしさにつけ込んで、転生ごとに愛ある者から次から次へと魂を奪って自分の物にしてきました。

正樹らは、そうした転生における背景があったせいで、人間として生きる過程で、なかなか水色のなかまや私である瀬織津姫と知り合ったり関わり合う機会持てず、チャンスを逃し続けてきましたが、このたびの生では、自分は地球にそぐわない異次元存在らの生を助けるためにもう十分に犠牲的精神を持ってやってきたぞ、という、達成感を元に、この先は自分が地上を生きよう、という気持ちを心に持てたため、自らが地上の地に足をつけて生きる道を望み、それに向かって歩き始めました。

正樹を異次元組織の上に立たせ、地上で生きる能力を次々下からねだって奪っては、地上で生きることができていた異次元存在の魂たち(魂を持つ人間たち)は、正樹に地上で生きる能力を返さなければならない状況を目の当たりにし、うろたえ平静を失い、正樹の生を邪魔すべく、ありとあらゆる試練を浴びせ続けました。しかし正樹は黙々と地上を生き始め、試練を一つ一つ乗り越えていき、正樹に意地悪を繰り返した人物は、正樹から預かっていた愛の魂が自然自らの身を去り、正樹に返される結果となっていくのを、ただ見つめるのみでした。

これまでの過程で、正樹は、水色のなかまやワンネスの存在らと交流を深める一方で、ずいぶん地球外の異次元存在らからも助けを懇願されてきました。交換条件として、正樹が現実世界で社会人としてスムーズに生きれるよう助けようと、そう言われることもありました。しかし正樹は、今の現実世界の軸や仕組みを作っているのは地球外の異次元組織だと分かっていて、言うことを聞かないと再び職場で意地悪にあったり、以前にあったように力が発揮できなくて迷惑をかけたりする状況になるかも、と思いながらも、それを恐怖しながらも、もしそうなったら仕事辞めよう、と思い、自らは自分の思う道を変えませんでした。正樹の思う道とは、それをする理由が無いことはしない、誰も得しないことはしない、正樹には、つじつまが合わないこととか意味が分からないことには、やる気が出ない性質があって、自分がまっすぐな気持ちで仕事をし、皆と協力できないのであれば、どうせ仕事もやる気を失うと目に見えていたのです。

あと一つ話したいことは、正樹が若い頃に、子どもらを救うために神社回りをしていた頃のこと。その頃、正樹は、自分の母とも懇意にしていて実家にも行っていたのだが、実際、魂をずいぶんと取られていた状況下において、正樹は母親を含む実家の家族らに、”僕は、これで、もう二度とここには帰らないから、”と告げたことがあったのだ。

しかしその後も正樹は実家に帰っていたし、その時のことをなんだったんだろう、と思い返してみて正樹が思ったことは、その時に自分は、疑似的に、自分が生まれてきてからやろうと魂が決めてきたことを、魂を取られた身でやらされ、それで、自分生きる目的はもう済んだと、地球外の異次元組織にそう思わせられていたんじゃないかと。なぜそう思うのか、その時にやってきたことが、地に足をつけて生きようとしている今、同じく繰り返されているからだ。

母親と決別する、地に足をつけて生きようとする、同じ志を持つ(職場の)仲間と出会い助け合う、が今、実際に現実世界でしていること。その当時も、実家と決別すると口でだけ言い、(後から分かったのであるが)自分の魂を所有していた人たちと出会い、彼らと出会って助け合いもした。しかし、その時の正樹は、そうして出会った人々に魂を再び奪われ、さらに苦しい立場に置かれたのだが、その疑似的経験ですんでいたのなら、

 

・・その経験で終わっていたら、僕は、ここまで瀬織津姫や水色のなかまの魂の開放に関与しなかっただろうからきっと、地球外の異次元組織が、瀬織津姫や水色のなかまの犠牲的献身を解きたくなくて、僕に疑似的な経験をさせていたんだろうね。

 

瀬織津姫)その通り。

それで、あと思うことは、正樹のこれからだよね。水色のなかまが、正樹は今後大きな家に住んで人々を迎える立場になる、子どもらも、自宅に訪れる人々と交流しつつ自らの道を行く、と言っていたね。それは、正樹の夢で相違ない?

 

(水色のなかまの言葉↓)

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

 

それね、実際、僕が強く思っているわけではないけど、そうなれたらいいなという気持ちは確かにあるよ。それと、母が、実家でそういうような立場でいてて、でも母は、そういう立場を嫌がってもいた、父が人の面倒を見る人で、うちには泊り客が多かったが、父の死後は、母は、そういう来客を嫌がり、僕の兄が連れてくる人たちの世話もまったく楽しそうじゃなかった。でも、僕は、そういう立場に立てたなら、すごく楽しく人を迎えるだろうなと思う、人を迎えられる大きな家と設備、経済力があったらどんなにいいだろう、とは思うよ。

 

瀬織津姫)母が嫌々やっていたことは、本来は君のやることだったから、魂を奪った母は、君の役割をやることで地上に居られたけど、楽しくはなかった、役割には、意味があって、誰にでもそれが出来るわけじゃない、一人一人にやるべきことがあって、人はその人でないとできないことを決めてきている、それを、魂を奪うことで、地上にいるために、その人の代わりに誰かがしても、全く意味のない試みとなることをここで伝えたいよ。

だからみんな、自分のやることに気が付いて、その道を人に譲るんじゃなくて、自分を主役として歩かなきゃ。人の持つ幸運は、その人が役割を楽しく果たすために与えられ、それは、幸運が多くて不公平とか、幸運が少ないとかわいそうとか、そういうものではなくて、幸運は、結果的には、自分を幸せにもするけど、みんなも幸せにするために自分に与えられているのであって、幸運が少ないから分けてほしいという人の気持ちもわかるけど、それだといつまでたっても世の中が良くならないし、わけたい気持ちがあっても、分けずに、自分がその幸運を使ってある立場に位置し、そこの場でみんなを助ける方が、結局はつじつまも合い、はやくことが解決し、しかも根本から解決し、付け焼刃でない幸せを人に与えられる、そんな道だって言えるんだよ。

正樹、正樹はやさしいけど、つい持てるものを受け渡す癖がついてもいるけど、この先の未来は、自分がのし上がって道を作らなきゃ、立場を作っていかなきゃ、謙虚で欲もなく、今の仕事にも満足、よい仲間に恵まれて楽しくて、それだけで幸せだろうけど、もうそろそろ大きい家を持って、人々を守り育てるような、安心した場所を自らの心根で作っていくことも、大事だと私は思うよ。正樹はさ、自分ではそう思いたくなくても特別なんだよ、特別な能力者は、もっといろいろな人に知恵を分け与えないと、

 

知恵ってね、そんな簡単に言ってもなにを渡せるのか、僕は、器用貧乏で、だいたいのことはできるけど、なにも優れてはいないんだから、どんな人になにを渡せるのか、イメージが湧かないんだよ。

 

瀬織津姫)ごめんごめん、まだこの話は早かったね。簡単なこと、それは家を持ってから、家を持つことで正樹は自分の心を信じ始める、自分がなにか、自分の立場がなんなのか、現実が予想通りに動いた時、人間は、やはり、”あれっ?”、と思い自らの足を止める、そして自分を見つめる、他者がそうなった時、みんなが、”あれっ?”、と思う、これは現実?、現実ってなに?、フィクションって何?、現実の方がうそだったの?、都市伝説の方が、映画の方が正しかったの?、となる、みんなの心もきっと変わる、正樹と一緒にね。

 

それはともかく、僕は、来週の献立を子どもらと決めなきゃ。現実は現実、そして、その現実も、以前とどこか変わって感じるのが、この頃の僕。