水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第6章 自分の歩み ⑧え?本当にこの世はバーチャルなの?!と思ったこと

もう一年以上、ずーっとブログを続けていますが、

異次元でいろいろあった後、自分の内面がその都度変わってて、その変化に応じてしたいことに打ち込み、するとまた変化して、打ち込んでいたことができなくなり、また次へ・・の繰り返しでここまで来ている僕ですが、自分自身の人生を振り返ってみて、いったい僕の人生ってなんなのかなーと思うわけです。

自分が生きる意味が分かるかなーと思って、異次元の様子をさらに把握しようとしましたが、いよいよ分かりませんね。いつも、分かった、これをやるために僕はここにいるんだ、と思うと、また違う展開になって、真理から、何度でもはぐらかされるんです。

だから、これ以上、もう異次元を把握しようとするのをやめようと思いました。その理由は、知れば知るほど深みにはまって自由な発想がなくなり、矛盾したことをし続ける他者を許せなくなってしまうから。

そんな自分に気が付いて、異次元をもっと調べたいという気持ちが薄くなり、もういいや、と思ったんです。どうせ分からないのだから笑。

それより、昨日、床屋さんで、店主と話したことが面白かったなー♪

家のリフォームの話、それから、マイナンバーカードの申請の話、天気予報アプリの話、何でもない世間話がとっても面白かった。それに、話に触発されて、早速マイナンバーカードの申請を今日やってしまえたよ。家に帰って、ポイント5000円分ももらえるんだよ、と言ったら、妻もすぐに申請しました。いやー、いい情報だったです。

だから、僕は、今は、異次元より現実での人との関りに興味があるんです。町内会とかもいいなーと。

 

水色のなかま)正樹は、もう学びが終わったから、こうなった。

学びとは、ああそうか、と分かること、必要な人と出会うこと、抱えてしまったカルマを解くため思い込みを解き放つこと、明るい思いで胸いっぱいにする事、以上が上げられる。

正樹は、長らく抱えてきた人のカルマを、まだ多少は持ちながら、自らを、明るい思いで胸いっぱいにしたい、と願った。それを望んだ。だから、それが叶えられたのだ。

こう書くと、人は、そんなバカなと思うかもしれない。しかし、それが事実なのだからしょうがない。

 

始めから書いていこう。

正樹の人生は、人のカルマをいっぱい背負ってしまった状態の魂が、正樹にカルマをいっぱい背負わせた張本人である母親のもとに、生まれたところから始まった。

正樹は、今世で、母親から、恩返しを受けるつもりで生まれてきた。それが、生前の約束だったから。また、母は、正樹に恩返しとして愛情をかけることで、自らのカルマを解消できるはずでもあったから。

しかし、母は、自分のカルマを持つ正樹を可愛いと思えず、愛する努力もせず、皆にも手を負わせる正樹を、皆とともに嫌い、自らは家長である夫に取り入ることで、いじめの体裁を保った上で冷たく接し、自身にまだ残りのカルマがあるゆえに与えられていた、つらい環境で生きるためのストレス解消に、正樹を使っていた。

正樹は、それとは分からず自分が悪いと思い込み、母を幸せにすべく、さらなるカルマを母から受け取って生き、その半生は、母の受け取る不幸を、代わりに一身に背負う状態であった。

だが、妻と出会い、子どもたちを授かることで、正樹の運命は好転していった。

その理由の一つは、正樹の子どもたちが、正樹の背負ったカルマをそれぞれ引き受けて生まれてくれたから。正樹はその分、楽になった。

しかし、母のカルマを背負うことで、母の魂粒子を持っていた正樹は、心に反して、子どもたちを愛すことができなかった。

正樹の子どもたちは、それぞれ不登校を経験し、正樹は、子どもたちを救いたくて入ったネットのサイトにて、スピリチュアルな考え方に興味を持ち、いつしか、異次元を見たり、異次元の声を聞いたりできるようになっていった。

正樹は、異次元的な奉仕をすることで、子どもたちが救われるのでは?と思い、人間の仲間とともに、スピリチュアル活動をしていた事もあったが、結果的に、そうして出会った仲間のカルマをも自らが背負うこととなり、人々を救ったものの、一時は、布団から起き上がれずに寝込まざるをえなくなった。

その時の仲間も、母と同じく、自分のカルマを持つ正樹を嫌い、仲間は遠のいた。

その後は、子どものためにも現実世界で元気になろうと決意し、意欲的に働き始めたが、行く先々で母の分霊と出会い、その者を助けざるをえなくなり、再びカルマを背負わされて体調をくずし、最終的には無職にならざるを得なくなった。

その間に、引きこもりの子どもが思い悩んで、自ら命を落としかけた。

その後の正樹は、家庭にて、子どもたちを愛す努力をし続けたが、母のカルマの影響は大きく、なかなか本来の自分の心で子どもたちと接することができないでいた。しかし、母と現実的に決別でき、本当の自分になりたいと願えたことで、母や、その他の者に与えていた自分の魂が、少しずつ返り始めて、カルマも持ち主に返り始めた。

自らの魂が、異次元的に好転していくのを、自ら自身が見て、手伝って、把握している状態であった。

そして、これ以上正樹の魂が元通りに戻らぬことを望む異次元存在のグループが、そのスピリチュアルな力でお金儲けをすることを持ちかけ、お金が必要だった正樹は、一時は店を持とうと思ったが、結局は、自分の本当にやりたいことではないと分かったために、その道をやめた。

ここから、一気に正樹は幸せへと向かうのである。

まず、正樹の引きこもりの子どもが、寝たいときに寝て、起きたい時に起きて、食べたい時に食べて、自分の趣味に没頭し始めた。その趣味は、その子が無理なく続けられる楽しい趣味だった。また、その子の生活は、やらなければならない、こうしなければならない、という強迫観念が少しもない生き方だった。

始めは、こんなわがままを許していいのか、自堕落な生活しかできなくなり後々困るのでは?、などど思って見ていたが、子どもがだんだん元気になっていき、その趣味が上達しているのを見て、これはこれでいい、と正樹の気持ちが変化していった。

しばらくは、手伝いもしないで、何でも人任せにし、好きなように振舞うわが子を見て、いろいろな責任を背負っている自分と比べて苦々しい気持ちもあったが、そのうちに、正樹も、我が子と同じように、自分も先のことを考えて我慢しないで好きなことをやってみよう、という気持ちがめばえてきたのだった。

そうとなったら世界は、正樹を幸せにするスピードを増した。

正樹の望みは子どもを可愛がりたい・愛したい、そして、本当の自分になりたい、もう一つは、楽しいや嬉しいを感じて生きたい、ということ。それを望んだ時点で、正樹は、母親や他者を幸せにするために生きるでなく、自分が幸せになりたいと強く望めたのだ。

すると、太古の昔から、正樹の魂につけられていた他者のカルマが、次々にはがされていった。正樹の生きがいが、他者や身内の幸せから、自分の幸せへと移ったから。

現在は、他者から譲り受けたカルマが次々に外されることで、正樹は、本来の自分の心を取り戻し、我が子にとてもやさしく接することができるようになり、正樹も子どもたちも、とても幸せになってきている。

すべて、自ら望んだことがもたらされているのだ。

 

正樹が、他者のカルマを背負ったは、他者に対してやさしかった証拠、正樹の霊性が純粋なので、正樹の願いを世界は叶えていた。それは、与えたものを与える法則よりも尊いものとされた。

 

また、なぜ正樹がこの世をバーチャルだと思ったか。

正樹が望むものを世界が与えることで、正樹は活力を持ってこの世を生きることができるというもの、活力を持って生きる担い手を世界は必要としているから、その願いを叶える方向に、我々は、一人一人の条件や生き方の方向性を変えていける。

そこには矛盾などないし、誰かを優遇して誰かを粗末にしての贔屓や区別などはない。ただ、本人が望む世界をこちらは与えるだけ。そうして、活力ある生活をしてもらいたいだけ。望まなければ、何も与えない。

 

・・それで、僕が、自分の幸せを望めた時、異次元では、僕に取り付けられていたカルマがどんどん外されていった。それは、すごい量だったし、具体的に取り外し作業のようすも全部見えていて、みるみる体が楽になっていき、頭がすっきりしていきました。

あと、自分の魂が、背中からどんどん入れられていき、僕の内面がどんどん明るくなっていくのが分かったし、僕の背中に、機械に取り付けられた鉄製の管みたいのが刺されていて、背中は機械みたいで、そこから能力や魂の粒子などが出し入れされていたのを感じてもいたから。

なんだかマトリックスみたいだなーと思ったんです。それで、この世はバーチャルかも、と。

 

 


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だからと言って、僕は、背中の管を取ってマトリックスから独立しようとは思わないけどね。バーチャルでも何でも、家族や、犬を可愛がってくれるご近所さんがいる、この世界が好きだから。