水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第三章 水色のなかま ⑬大いなる意志との会話2

大いなる意志)おまえとはまだまだ話さねばならない。

 

出来れば話したくないです。あなたが僕に入ると体がきついんです。

 

大いなる意志)しかし入らねばならない。この波動を耐えれるものが他におらず、筆記することができないから、おまえに頼みたい。

 

僕の日常生活はどうなりますか?僕は、家事と子育てをやって、今日もひな祭りだから夜はごちそうを作りたい。

 

大いなる意志)それは分かるが、このブログを通してしか、大いなる意志の波動をそこの世に流すことができない。この波動により、皆の目が開花し、皆の頭が開かれ、皆の心が安定していく、その様子をわしも感じることができ、その上でいろいろなエネルギーの調節をしていきたいのだ。子どものように人間を思いやりたいのだ。

 

あなたは地球をどうしたいのですか?地球の人間たちをどうしたいのですか?

 

大いなる意志の配下の人)そなたの考え及ぶお人ではない、質問をするでない。

 

分かりました。確かに、僕には大いなる意志さんの思考が分かりません。人間とかけ離れすぎてる。

 

大いなる意志)では、いくぞ。

 

地球というものは、わしが作った最高峰の星、他にはない星、類似性のない星、地球に似せた星はあっても、本質が全く違う星、その星を、世界で最も大切にしていることを肝に銘じておいてくれ。

その上で、昨今の大気汚染や公害、木の伐採のしすぎ、ごみを増やすくらしで地球をいじめ、地球に住まわる生き物の代表として生きる人間同士は、つまらぬことで仲たがえ、ストレスを下の者に浴びせて尻拭いさせ、自分だけが生き延びようといつも計算している始末、このままでは、わしの愛する地球が異物になってしまうため、こうして裏からやってきたということだ。

たくさんの存在に身をやつしながらその身がなくなったりはせず、大いなる意志は大きいままで健在で、すべての存在たちの大きな頭として上に君臨しておる。ちなみにこんな言語も魅力的だ。言葉というものは気持ちを形にできて、非常に良いものであるな。聞き取れぬ者、触れられぬ者にとっては、こうした筆記に助けられるであろう、目にできるチャンスを作れるのだから。目にしない・出会わない、はあっても、チャンスは誰にも与えられているのだから。

今、こうして地球に来てみると、愛の星地球に似つかわしくない、非常事態が多々巻き起こっていて、目まぐるしいばかりの感情と叫びが、この地球という場所に飛び交ってもいる、これは由々しき事態だと感じておる。

むかし、わしの分身を地球へ飛ばしたことがある。その時から何億年、何十億年、いや何百億年、もっともっと、とてつもない時間を経て地球をよい星に昇華させ、そこに住む者たちを愛の最高峰とも呼べる民に昇格をさせる計画があった。そこでだ、今がその結果、裏から来てみれば、正樹の言う通り、なにも愛じゃない、どこの者も成長していない、つまりは、地球において上に立つ者が名、少々問題じゃったと分かったのだ。

これは、使徒を飛ばしでなく、分身を行かすでなく、私自身がいかねばならないと悟った。それで、来た。

そして分かりやすいところで言うと、わしの分身とも言える正樹の魂が、誰にも彼にもに取り除かれて、まるでその魂が自分の物のように振舞われて、正樹としては貸した魂を返してもらえずに、ずっと長いこと待っているうちに、正樹の役割をうまい取られ、いつの間にか地球の輪廻を司る役を、水色のなかまでなく、光と闇の異世界の者たちにやられるようになっていき、少々地球という名の学び舎が、地球本来のあり方や、地球本来の生きる目的にそぐわない道を人民に与え、それしかないと思わせるような教育と、脅しや仕打ちを与えている事実を、これは変えていかないとと思うに至った。

魂の出どころが、水色のなかま出身の人間は、みな仕事を奪われて苦しんでいる、その上、自分の魂に入り込まれていて、身動き取れないようにもなっていると見た。そう、水色のなかまの民たちは、その者らの道しか与えられず、それしかないと思わされ、洗脳を受け、いつの間にか、地球の人間界での大事な役割を果たせないまでとなり、そこから逃れることもできないようにされていた。

こうした改善点を垣間見て、私からの提案なのだが、私自ら水色のなかまの魂を救っていこうと思う。

その救い方は、水色のなかま出身の者が、正樹のブログから出たエネルギーを取り入れると、私自らが、元の水色のなかまの波動をその者に与えて、体に入り込んでいる何者かの魂の糸を追い出すということ。その者らには、私お波動が堪えられずに、のちに、本人の魂だけがそこに残る。そのあとも、わしとのつながりは消えずに、よそ者がここに入ることはなくなるということ、どうかな?

 

では、この今僕が苦しい理由は、僕に入り込んでいる人たちが苦しんでいるということでしょうか。

 

大いなる意志)そういうことだ。つらいかな?それともそれをするのは嫌かな?

 

あなたが誰なのか、僕が本当に分かっているわけじゃないのですが、僕は、水色のなかまに会い、あなたと会ってから、家族にすごくやさしくできていて、せっせと犬の世話や家族の世話、植物の世話をしているうちに、僕の性格、おとなしくなってきていて、もしかしたらこれが本当の僕かも、と思っていたりしたんです。おとなしく、控えめに生きて、こつこつ奉仕したい、それが、本当の僕だと。

だから、僕は、あなたを受け入れたいです。ほかの方とは離れます。

 

大いなる意志)分かった。しばらくは体がつらいが慣れてくると心地よくなってくるぞ。ほかの者たちが、今まであなたに与えた痛みや苦しみは、だんだんなくなるから、安心して生きなさい。

 

はい。

 

このブログを読んでも、読まないでも、必要な者はこの波動を受け取るし、わしとも会うだろう。このブログが、正樹を通して、人間社会にわしのエネルギーを運んでいる、それだけで、すべて事足りる。どうせよ・ああせよの言葉は何もない。自分らしくあれば、それでいいのだ。自分らしくあれば、自然に輪ができるのじゃ。その時を、もう少し待ちなさい。みんなが本当の意味で、自分になれた時、分かるだろう、自分は誰かが。

 

はい。   ・・・少々疲れました。

 

大いなる意志)では、終わろう。

 

 

(大いなる意志のエネルギー体にが入り、

他の存在とのつながりが外に出ていった様子 ↓ )

 

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