水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第三章 水色のなかま ③異次元の存在とは

水色のなかま)すぐに始めていいのかな。話したいことがあったら始めに話しておいたら・・

 

ありがとう。・・ええと、今、とても気分がいいです。

今までいろいろな異次元の方々交信してきたことがあるけど、その時に、頭のてっぺんとか背中や腰のあたりから何かに入り込まれている感覚があって、それがとても痛いのに加えて、自分自身の思考がぼやけたり、妙に冴えすぎたり、テンションが上がりすぎたりと、その当時は、交信している時も日常の状態も、心身ともに非常に不安定で精神的に苦痛でした。

でも、今は、交信できるのが楽しいです。日常の仕事ができなくなったりもしないし、『水色のなかま』との交信は、いわば無理がないんです。

 

水色のなかま)そうだね。僕たちもそれは同じだよ。君と話すに無理がない。

こういう状態に君を連れてくるまで、ずっと大変だった。君は、初めて見る異種族の仲間のために、人間として精いっぱい頑張って、自分のことを労われなかった。少しそういうことを思ってくれたなら、僕ら、地の底へも駆けつけたのに・・あ、ここは地の底だった。笑

 

水色のなかまの居場所について ↓

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

 

あはは!おもしろいねー笑

 

水色のなかま)じゃぁ今日は、そういったことも踏まえて、地球に住まう人間というものと、異次元の存在について話そうと思うよ。

ちなみに僕らは、ありとあらゆる人間の中で、ほんの一部の転生しか許していないので、水色のなかまの出身の人間はほんのわずか、生きていても互いに会えないくらいだ。・・・だから、君は生涯寂しかったし、そうした大多数の違う種族の教えを自分の教えと思い込んで邁進してきたが、所詮違う種族の教えなので、自分の中に腑に落ちる部分が少なかったし、死んでからどうなるかも、出身種族によって違うので、君はいつも不安を抱えていた。死んでから、誰が迎えに来るのかが、既存の存在の中からでは、どうしても想像がつかなかったんだ。

 

うん。その通りです。

 

水色のなかま)では、話すよ。

人間とは、あらゆる異次元の存在が、人という生き物の体に魂を差し入れた上で地上に住まわせた存在である。

人の体部分や知能や本能は、もともとの生き物としての能力や特徴を引き継いで、こうして生き、子を育て、生活する体勢を整えてもいるが、体に異次元の存在の魂を取りいれている分、さらに上乗せして知的になったり、芸術的能力が備わったり、肉体がたくましく成長したり、と、取り入れた各魂の影響を大いに受けた個体として、人としての個性を世に博しておるというわけだ。

つまりは、人とは大まかに3次元の存在、ということにしよう。そして、異次元とは、3次元でない次元であり、そこの次元では、各異次元の存在も、体のような形を持って、その次元での生活や立場などがある身ではあるが、人間のいる3次元からすると、そこは異次元、人からは、異次元の存在の姿が見えないし、触れないわけだ。

異次元の存在は、そうした、人の次元とは違う、見えない次元から、この3次元に、自らの魂を差し込んでおり、人の体をアバターとして、各種の異次元の存在と隣り合った状態で、互いに協力できる立場において生き、異種の異次元同士が互いを分かりあい、知り合い理解し合うために、人間というものができあがったというわけだ。

だから、生きていて、人と人、どうしても気が合わない場合があるが、その理由は、入っている魂が異種同士である、という場合が多いし、多種多様の異次元の存在には、多種多様の常識が存在するから、それらの自分たちの常識が通じない相手は、悪であるという考え方をやめて、広い心で許してやれるといい。それができるようになるために、みんな人に成り得たのだから。

また、人の体を借りている身としては、人の体を大事に扱ってこそ、よい生き方ができるというもの。他種の魂出身者の言うことを聞きすぎて、自分に向いていないことや、どうしても飲めない相手方の常識を、考えを変えてまで実行すべきではないと、私たちはアドバイスしたい。・・どこにも逃げ道はあるのだから。

 

はい。

 

逃げることは、悪いことでも卑怯でもないから、自分を失うことを避けて、そうしないでいい方法を最大限考えて、自らを大切にする道を、目立たぬように気負わぬように、一歩ずつ行くといい。その果てには、正樹が僕らに出会えたような、そんな無理のない仲間が、きっとみんなにも引き寄せられるから。仲間に会えば、きっと得も言われぬ安心感が、あなたを包むから。

まぁ正樹の場合は、同じ魂の出身者が、地球の人間の中でも希少価値であったために、われら異次元の存在との出会いとなった。人の中に、同じ出身の魂が大勢いる場合は、選り取りみどり、自分の選んだ人と懇意になればいい。とにかく出会いはあるから、自分らしく生きるを忘れないことだ。なにをおいても、自分らしくなっていくことこそが、今世では、最大の自分へのプレゼントだと思ってほしい。

 

さて、異次元の存在の話に入ろう。

異次元の存在で有名どころとしては、光の存在、闇の存在、の二つがあげられるだろう。そして、この両者は、両方とも、天から降りてきて地球に住まわった存在なのだ。

光と闇は、互いに全くの正反対の特質を持ち、一説では、大いなる神が自らを知るために、体を二つに分かちて光の種族と闇の種族を作り、お互いでお互いを見る、という偉業をなしたために、二つの種族は、互いを厳しく戒め、時には認め合い、また大体は争い合い、今に至っていると言えよう。

そうした双方の種族が、さらに互いを知り分かりあうために、地球という大地に人の体を借りて住まい、肩を並べて、互いに協力する目的で、生活しあっている現状が、今のこの日本であり、世界各国だと言えるだろう。

ちなみに、日本には、各種異次元の存在が、本当にまんべんなく生きる国といえ、世界には、国によっては、闇の存在が多い国、光の存在の多い国など、大きな偏りがある場合もある。

また、偏りという点では、愛の純度が高いか低いかで人を区別してみると、愛の純度の高い者が多い国、愛の純度が低い者が多い国と、そういった偏りも国によってみられるために、各国によって、国の雰囲気や特性が各種まちまちであるという結果にもなっている。

そして、元から地球に住んでいて、地球にて生まれた異次元の種族というものが、僕たち『水色のなかま』のほかに、各種、多種多様に存在する。

その話は、また今度にしよう。

 

ありがとう。君の話は、いままでになく、不思議と腑に落ちるよ。

 

そうだね。

誰にでも魂には出身があり、同じ魂の出身同士ならば話は合うだろうね。

また、種族によっては、種族の孤剣にかかわることを下々には話さないこともあるから、地球にいて、公平な立場の存在から真実を聞くことが、なかなか難しいこともあるから。そして、光の神には光の神の言い分があり、闇の神には闇の神の言い分があり、双方正しさの中で生きていらっしゃるから、しいて言えば、この世で言われている逸話の全部が正しいんだ。

しかし、部分的にしか知らないことは、各種族で独自に、想像と予想の中でつじつまを合わせて話を作っている部分もあるから、それは決して嘘ではない。知らないだけなんだ。間を予想でつなぐのは、極めて正当だ。

だから、真実を知りたければ、いろいろな人の話を聞き、自分が腑に落ちる部分をつなげて、独自の物語を作るといいよ。きっとそれが、自分の真実だからね。

 

はい。分かりやすいお話をありがとう。

 

はい。こちらこそ。

 

 

水色のなかま近影 ↓

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