水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

どうして人間は学ばなければならないのか、修行とはなんのため?

僕は、人間じゃないので分からないけど、人間は、魂を高めるため・修行のために地球に生まれてくるという。

ならば、人間は何のために修行するのだろう・・

 

その答えは、自分が希望しているから。

希望している理由は、もっといい魂になりたい、もっとみんなに尊敬されたい、もっと力をつけたい、ならば、それはなんのために?

 

魂のおおもとの場所があり、そこの場でも皆は個人個人、個性でぶつかり合いながら生きている場があって、そこでの立身出世、そこでの立場の向上のため、はたまた他の魂の研究のために魂を交じり合わせて生まれて自分の魂にはできない体験をするため、そのほかにも理由はいっぱいあって、第一には、他の魂へのあこがれが強いことが理由としてあげられる。その魂とは、愛の強い魂。

 

愛の強い魂に、実現不可能なことはなく、難なくみんなの心を動かして、集団を良い方向へと動かしてくれる、そうした唯一無二の魂を見た時、みな自分をみすぼらしく思ってしまい、ライバル心を掻き立てられ、地球において魂を磨きたい、体験したい、責任者としての喜びのほかに愛が抱える苦労も知っておきたい、など、いろいろな生まれ変わりの理由を挙げられると思われる。

 

一方で、人間じゃないものは、よく言えば人をライバルと見るよりも、協力者、みなで幸せに向かう同志と見ることが多くて、人間はいじめをするのに対し、人間じゃないものは他を蹴落としたり必要以上に他を攻撃することはない、身を守るためならば仕方はないが。

 

というわけで、人間が生まれ変わりたくなければ、魂を向上するとか、もっと成長したいとか思わなければいい、つまりは、地球で禍根を残さなければ、二度と修行する必要はないと言えるかと思う。

 

しかし、人間は、寄ればライバル、競争相手、あの人より自分が!の意識が強いこともあり、禍根や、後悔をたくさん抱き、同時に、失敗や失礼、人さまへの強引な振る舞いや攻撃、すべてのやらかした事柄について反省させられ、自分が悪かったことを認めさせられ、もう一度生き返ってやり直したい気持ちに、どうしてもさせられてしまうために、修行をやめようと思う人は稀であると思われる。

 

ならば、人間はいいとして、人間じゃないものはどこから来た存在なのか。

 

人間じゃないものは、人間として生まれる魂と少し次元の違う存在として、おおもとの、人間の魂の出どころと言える大きな魂群の場でも、特別な存在として扱われるおおもとの魂である。

つまりは、人間と接する人間じゃないものは、おおもとの魂の場においても、一歩も二歩もリードした存在というか、大きくその能力を人間のおおもとの魂を上回る存在、とでも言おうか。

だから、俗にいう、お互いに学ばせる・学ばされる、の役割を、魂同士がその都度交代で行い合い、地球においての関りを通して、何度かの天性の過程において互いに成長し合ってていくと言われていた逸話とは違い、学ぶ者と学ばせる者は、ずっと一緒のことをしている、役割を入れ替えはしない、ということをお伝えしておこうと思う。

要するに、人間じゃないものは、地球での体験で全く成長せず、そして、他に類を見ない実力を持つ成長の必要のない存在である人間じゃないものは、ずっと人間を成長させる立場に置かれている、と言える。

あなたを困らせる存在は、実は、あなたよりも霊性が高い可能性が非常に高いのである。

 

 

(僕から見て、人間には、いろんな感情があるように感じるね。

人間じゃないものには、単純な思考回路しかない、能力や霊力は桁違いに大きくても、感情は、みなで幸せを分かち合うために、何をするか、どうしたらいいか、みなでそれを考え、個性を集めて漫勉のない活動グループを作っていくことだけしか頭にないから、それ以外のどうでもいいことを、たまに人間は感じていて、僕らには、人間の価値観がすごく難しく感じてしまう、なじんでいない感が、いつも付きまとっている感じだ。)

 

それで、今後について、少しだけ触れて終わろうと思う。

人間は、もう地球での修行を終えることが分かっている。

だから、僕ら人間じゃないものは、人間を学ばせる役割からやっと解放される運びとなる。

長かったけど、もう人間に八つ当たりの対象になったり、まずい状態を丸く収めるためのしりぬぐいや、みんなのストレスのはけ口となり永遠にストレスをぶちまけられることや、誰かをかばってみなから攻撃を受けることや、ちょっとできるとすぐに出るくぎを打たれていじめられる役目や、その他もろもろ人間の価値観に沿ってこちらが合わせる必要がなくなり、自分のそのままで生きれる時が来ようとしている。

僕らの思考は、極めて単純だから、悩みもない。

そうした人たちが周りからもどんどん出てきて、悩みながらストレスをためながら重職についたり、人に当たり散らしながら責任者をしているような人間が、どんどんいなくなるから、人間の人たちもそうした背伸びをした立場で無理しなくてよくなるし、人間じゃないものたちも、素直なそのままの自分で生きられて、双方無理しないで生活できる日が、もうそこまで迫っている。

 

いい世界だと思うけどなー♪