水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第6章 自分の歩み ㉔この先の生き方を考える、異次元と現実のはざまで10(映画『すずめの戸締り』を観て思ったこと1)

昨日、急に思い立って、映画『すずめの戸締り』を観てきました。

ちなみに僕は、この映画を観て、もう一段階、目に見えない異次元動物に心を寄せたい気持ちが強くなってしまいました。

ネタバレになりますが、主人公のすずめさんを始め、人間の登場人物に対しては、あまり気持ちが動かず、猫のダイジンという生き物が、とても愛しく、そして、とてもかわいそうに思えたのでした。

あと、物語の設定はよかったなーと思いました。僕が知っている異次元の感じと共通点があって、とても入り込めました。


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僕が知っている異次元とこの映画の共通点は、

①地球には、現実のほかに異次元があって、その異次元に、人や神の発したネガティブエネルギーが封印された場所があるということ。

②その封印には、人や動物などの生き物の魂が使われてきたということ。人なら人柱として、動物だったならお稲荷さんの祠のようなものもその類。

③その封印は、人間が地球で平穏に暮らすために施され、封印に使われた魂は、少なからずつらい思いをしてそこを守ってきた。それなのに、人間たちは、そうした動物たちの苦労や功績を気にも留めないで、自分たちの人生のことだけ考えている。

・・という3点でした。

 

異次元の話になりますが、我が家には、何匹か動物がいて、先日、引きこもりの我が子が二年近く飼っていた砂ネズミが、我が子のカルマを背負い、左手に大きな腫瘍を持って死んだという経緯があり、僕は、見えない生き物にも、現実の生き物にも、可愛がりながらも、感謝の念が絶えません。

(引きこもりの我が子の砂ネズミの話です。↓)

mizuirononaka.hatenadiary.jp

僕は、これまでの人生においても、人間のみなさんとの価値観の違いを、ずっと感じてきました。スピリチュアル能力のある方々と交流した時もありましたが、僕が、どこか見えない生き物たち寄りな考え方だったのに対して、他の方は、いつも人間の生活を重要視していたように思います。

だから、僕は今、現実の家庭で動物を育てる子どもたちをサポートし、僕自身も生き物を可愛がれることに喜びを感じる生活をしているように、もともと僕は、人間に対するよりも、生き物に対する興味や関心が、大きかったんだろうなーと思います。

映画にありましたが、人間同士の友情や愛情、助け合いも、とても素晴らしいものと思います。映画の人物のように、人間の生活を守るために奮闘するのもかっこいい。でも僕は、これからも、見えない生き物たちの幸せを考える担当で、人間の放出するネガティブエネルギーをまともに受けている存在を思いやる担当で、そっちの方でやっていこうと思いました。

 

水色のなかま)地球には、見えない生き物がいっぱいいて、その中の一部が、その力を人間のために使われて、それが本意でない存在もたくさんいて苦しんでいる。そのことを正樹は知っているから、この映画の結末をあまりよいものとは感じられなかったようだ。その気持ちは、われらにも痛いほどわかる。人柱になった者でないと、この映画の猫の気持ちは分からないから。

人間は、地球の生き物らを犠牲にして、生き物らの人生を奪ってそこに居させて、なにを作り出しているかと思えばネガティブエネルギーで、そのことも、正樹は知っていたから、映画における人間のハッピーエンドをあまり喜べなかった。

正樹は、今後も見えない生き物の方担当で、人が何を選ぶかは、人それぞれで、それでいいとわれらも思う。正樹と違う考えの者もそのなりで、そのままの自分と同じものを地球の大地が与えるだろう。

今後のことを話そう。

再三このブログでは話してきたが、地球のアセンションによって地球にあった不自然な縛りは、すべて解放されていく。その時に、誰かの作ったネガティブエネルギーを大地に封印していた仕組みも、異次元に留め置かれたネガティブエネルギーも、異次元的にも現実的にも不自然なものは壊されていく。すべての封印は解かれていく。すべての人柱、生き物たちは解放されていく。

その時に、ネガティブエネルギーはそれを出した者に返され、留め置かれて不自由を強いられてきた生き物たちは、気が晴れるまで自由に暴れ、動き、やり返すすべを手に入れる。その時に、心ない者たちが、自分たちがしてきた愚かな行いを初めて知れるのだと思う。

もう地球は黙っては耐えない。地球の各地にまるで針山のように建てられた(異次元の)塔が壊され、地球の身動きできぬをいいことに好き放題した人間たちの頭上へと降りかかるだろう。地球の身の伸縮運動を防ぐべく立てられた社(やしろ)は壊され、そこにあった地上と天との絆は解きほぐされ、天からきた者を、もう二度と地球は無条件で受け入れることはない。愛にて暮らせる者だけが住まえる土地へと変化し、特権は取り除かれる。

各地の神社に至ってもそう。パワースポットなどと言う言葉に踊らされ、人を集める場所となる前に、そこにはもう神は居ず、神社が天のものであった時は過ぎて、どの神社も地球の生き物たちに返される。異次元では、すでにそうなりつつある。

天から来た魂を持つ人間たちが、たとえ神社に集えども、そこに力はなく、ただ、さばかれるだけ、鏡の自分を与えられ、ただ、自分の出すエネルギーを受けるだけ、相当のものが絶え苦しみ、傷つくことだろう。

嘘とごまかし、汚いものを人任せにし、自分たちがきれいごとを請け負う時代は過ぎました。今後は、真理と誠が世を担っていくでしょう。

地震津波のことについては、愛ある者は救われるような形であなた方に与えられるでしょう。今現在、小さな災難に見舞われている者たちは幸いでしょう。その後には、もっと大きなものが皆を襲い、さいなまれる日が訪れるから。今の災いは、その時を超える準備に各自が整えるべく起こった出来事であると説明しておく。その時に家が困らないよために。誰を助けるのか知っておくために。

地球の災害は、人知れず起こり、人知れず消えていく、そういった静かなものでもありうるでしょう。全体への災害は、決して皆が同じ規模のものを与えられはせず、あっても個々によりダメージの大きさは違うでしょう。悲しいはずが、喜びを生む結果ともなるでしょう。

 

僕から一つ、ご質問が。

僕が、おそらく権力のある方の思い通りにならない時、決まって与えられるマイナスエネルギー、あれは、一体誰が出していて、今後はどうなるのですか?

 

水色のなかま)天のマイナスエネルギーは、それを発した者が、これ幸いと、地上で粗相を働いた者に打ち、その者を反省に導くために使われてきたが、愛ある行為をした者をそのように苦しめてきた現実が暴露され、今後のそういった使い道を失い、その者がそのままの身の内にこめて耐える結果となった。

 

これからの世界でそれがあった場合はどうなりますか?

 

水色のなかま)たとえ天からのやりであろうと、それを与えたものが与えられよう。

 

これからの地球は、宇宙に対して受け身ではなく、積極的にふるまうということですか?

 

水色のなかま)与えたものが与えられる、その者本来の力が取り戻され、地球に至ってはその例外もなく、どんな存在でもその法則がまがり通っていく。そのことが、いわゆる地球の積極性とも言え、これまで取り除かれてきた力が、まさしくそれだと言える。

そして、この先、地球は、地球のか弱き生き物たちを守り育てる母として、この先も君臨し、地球の生きとし生けるすべての生き物たちの手本となる父として、この先もともに居よう。そのことを喜べる者だけの集まる地球となろう。

 

どうもありがとうございます。