水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第6章 自分の歩み ⑰この先の生き方を考える、異次元と現実のはざまで3 (我が家のネズミと我が子のこと)

前回のブログに書きましたが、

引きこもりの我が子が、2年近く前から砂ネズミを飼っていました。

(砂ネズミと引きこもりの子について ↓)

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その、砂ネズミが、前回のブログを書いた11月7日の夜に、死にました。

僕は、我が家の新入り犬の存在により、動物が転生して、再び我が家に戻ってくることを確信していたので、砂ネズミの死を、そこまで悲しむことなく、ネズミに対する気持ちを、我が家に新しく来るであろう(引きこもりの我が子が、ネズミが弱っていく過程で急に飼いたい気持ちになっていた)、モモンガの方に向けていたため、わりとすんなりと前向きになっていました。

でも、引きこもりの我が子は違いました。ネズミが死んだ後、とても悲しみ、寂しそうでした。僕は、その様子を見て、やっぱり僕よりやさしいんだな、と思いました。

僕は、子どもたちに、”きっと転生して、モモンガになって帰ってくるから悲しまなくて大丈夫だよ。”と、言うのをやめました。この出来事を、ネズミの飼い主ではない僕が、そういう言葉(理屈)でくくってしまうことが、とても失礼に思えたから。

 

そして、11月8日には月蝕があり、僕たちは、家族で月蝕を観察し、また月蝕の前後で、僕たち家族は、順に「のどが痛くてだるい」程度に体調を崩しまして、その間に、僕の異次元でもいろいろありました。

一つ目は、引きこもりの我が子の周りに、今まで封印されていた多くの生き物たちが集まっていて、その生き物たちが、我が子のところから、一斉に異次元に飛び出していくところを見たこと。そして、この生き物たちの仕事は、人間が背負うカルマを、そのカルマの本来の持ち主に返していく仕事だったことでした。

実は、我が子が飼っていた砂ネズミは、左手に大きな腫瘍を抱えて死んだのですが、その腫瘍は、我が子のカルマを引き受けた証であり、この砂ネズミの魂は、僕が異次元で見た、我が子を囲む生き物たちの代表だったのです。そして、我が子の魂は、そんな生き物の魂たちの飼い主(また雇い主や指導者?)のような存在。このネズミが、死ぬときに、そのことを僕に話してくれました。それと”次にはモモンガを飼わせてあげて”と。

僕は、ネズミに、”君はカルマを背負って大丈夫なの??”と問いかけ、あまりに傷が痛々しかったので、また小さな体にカルマを背負わせるのが、たとえ異次元の出来事と言えども、さぞ大変だろうと思ったので、ネズミを助けようとしました。でもネズミが、”大丈夫、これが仕事だから、死んだら元の持ち主に運ぶから”と言ったのでした。

そして、現実にネズミが我が家からいなくなると、引きこもりの我が子が変わりました。

モモンガを飼える自分になるために、娘に、自ら犬の世話のレクチャーを頼み、犬の体の汚れたところまでも、無心で触ろうとする気構えとなり、動物の勉強のためにと、これまではめったに行きたがらなかったペットショップに、娘とともに出かける約束もして、どこか、憑き物が取れたような感じなのです。

今、僕は、小さい時の我が子が帰ってきたように感じて、とても嬉しいんです。

我が子は、小さい時は少しも潔癖症ではなくて、動物が好きで、我が家の前の犬が子犬の時に、泥だらけになって、一緒に遊ぶような子でした。

そんな我が子の特性は、誰かのカルマを背負うことで、今まで発揮を抑えられていて、我が子の天性の能力は、僕たち大人により、ずっと奪われ続けていたのです。・・だけど、それが今、取り戻されつつある♪

 

 

なんとなくですが、僕たち家族は、月蝕とその前後を境にして、地球のワンネスの環・地球のエネルギーの環の方に、つまりは、自分たちの魂本来の立ち位置に、ぐっと近づいたような気がしています。

でも、そんな僕たちを、いまだつながりがある、もう一つの環・宇宙から地球に来た組織の環の方が、われらの環を捨てるなと、いろいろな方法で邪魔したいみたい。きっと、困ることがあるんだろうね、僕には分からないけど。

 

(地球の異次元にある環について↓)

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自分になっていく道のりって、1歩進んで、2歩下がり、なかなか進んでいかない。

でも、僕は、正しさより個性が好きだ。だから、これからもジグザグで生きていく。

最近、異次元存在に観せられた映画、『グレイテスト・ショーマン』のように、僕は、個々が生き生きしているのが好き、ただ、それだけの僕だ。

 

 

 


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