水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第6章 自分の歩み ③以前と違う自分と以前と違う出会いの中で2

前回、一人暮らしをしている妻の兄、とむ君について少し書かせていただいたのですが、

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

もともと僕たちは、とむ君のことを、そんなに心配はしていなくて、現在とむ君宅にリフォ―ムに通っている工務店さんから『少し片づけを手伝ってあげたら?』と言葉をかけられて、一時は心配して見に行ってきたのでした。でも、実際に会って話してみたら、ケガをするような状況でもなかったし、そんなに心配しなくてもいいんじゃないかな、と思う感覚がありました。

僕は、前回のブログでもらった、水色のなかまの言葉も何度も読み、いろいろと自分でも考えまして、僕たち夫婦は、片付けは、とりあえずはとむ君のマイペースにまかせよう、という結論に至りました。理由は、実際には本人に、何も助けを求められてないということと、捨てる物、取って置く物の判断は、たとえゆっくりでも、とむ君本人にさせてあげたほうがいい、という気持ちからでした。

まぁ、前回書いた通り、異次元的にはいろいろあるかもしれませんが、それはともかく、とも君に集まる異次元存在の雰囲気が僕たちに合わないからと言って、それを悪だと思う感覚の方が、僕は、冷たいなーと思うわけです。または、傲慢ではないかと。

(ちなみに、↑この考えは、今見ているドラマ『力の指輪シーズン1第六話』を観ていた時も、ある場面でそんな気持ちになりました。)

ただ、とむ君を取り巻く異次元存在たちが、僕に、『手伝え!手伝え!とむに従え!』と迫ってくるのでね笑。そこは丁重にお断りしています。僕の本意ではないのであなたの声には従いません、と。

 

そういった日常生活を送る僕は、本当、『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドみたいで、指輪の力に引き込まれそうになりながらも、懸命にゴールを目指すフロド道のりのように、僕も、胸の内に響く、いろいろな感情や声に惑わされないよう自分の道を歩み、日々神経をすり減らしています。

その感じも、以前よりは楽になっていて、ありがたいかぎりです。

魂が少なかったころは、本当に大変でした。魂の中の自分で考える能力までも奪われていたから、自分の意志が希薄で、日常で出会う人みんなに馬鹿にされて、異次元の存在によいように利用されて、結果的に、いやなことを全部押し付けられてもいました。

今後は、もっともっと楽に、自分の道を歩けるといいです。僕の魂が全部返ってきて、今現在、僕の魂を持たれていることで縁ができ聞こえてしまう異次元の声が聞こえなくなり、異次元の声が、僕が本来付き合っていく異次元存在の声だけになると、ぐっと楽になるなーと。

 

 

あと、僕、先日のテレビでこの映画を観た時、すごく心が揺さぶられまして、


www.youtube.com

 

こういう母親犬を助けたい、そして、こういう母親犬を助けるような人々を助けたい、と思って、人間社会で僕も何かできないかなーっと思いを馳せたんだけど、いつか、そんな機会が僕に訪れるといいです。仕事でもボランティアでも、日常の一コマにでも。

親が子どもを守る気持ちは、種を越えて共感出来る。

この映画のように、誰かの発した愛が、愛と理解されて、その愛が、次々に人に渡ってみんなの間をどんどん循環していく、そんなエネルギーの流れの一端を担える人となることが、僕の当面の目標です。