水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第4章 体験記 ➈死後の世界へようこそ

水色のなかま)今日は、せっかく親しくなった友達、アヌビスさんと話してもらうよ。

 

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

君の娘さんの一人が、最近は愛犬を無くし、芸能人の方々が、なぜだかふいに亡くなる出来事が相次いでいて、死というものに、寂しさや悲しみを強く感じているようで、そのことを君もあれこれ悩んでいるようだから。

 

そうなんです。いろいろと、娘には、言葉をかけているところです。死んでも転生してまた会えるから大丈夫だよ、とか、死んでも作品が残っていて、それに出会えているのだから寂しくないよ、とか。

ちなみに、娘は、愛犬の死のことは、だいぶ立ち直ってはいて、不思議なことに49日を過ぎたら、ケロッと吹っ切れたようで、その気持ちの変化に、本人も気が付いていて、『49日とは、もともと、残された人の気持ちが収まるまでの日数だったから、49日まではお骨をお家に置いておく、という習わしが、古くからあったんじゃないかなー。』と、言っていました。

僕は、この先、娘に、どんな言葉がけをしていってあげようかなーと考えています。娘の話を聞いていると、どうも僕の方も、元気がなくなってしまうんです。

 

 

アヌビス)死は、人間には、そんなにつらいことなのかな。

死とは、人生の志半ばとも言え、次の転生こそが、新しいチャレンジの町、そこに降り立てる者は限られていて、死してこそ、その吟味の対象となり、この今世では、自らが何者かを見極める旅に、皆出ているものであり、それが出来た者から死んでいく仕組みになっている。

つまりは、死した者は、次に行く行き先が決まっている者であり、死してない者は、もう少し時間がかかるというものであり、死だけが不幸で、死してない者が幸運とは言えない。なぜなら、死してない者には、まだこの世に課題が残っており、その課題を死に物狂いでクリアしない限りは、新しい地球には降り立てないのだから。

 

そうだね。僕自身に当てはめてもそんな気がするよ。

 

アヌビス)しかし、君も、死をこわがっている。

 

そうだよ、こわいよ。だって、僕の場合、いつなん時、僕のやることに反対する異次元勢力にやられるか、分からないもんだから。まだやることがあっても、死ぬ恐れもあると思うと、死がこわいよ。

ここのところ、魂が幾度も返されたのだけど、そのたびに、僕の中に僕とは違う気持ちが入ってきて自由が利かなくなり、もう少しで子どもに当たりたくなってしまって、必死に、必死に、食い止めました。これに耐えるのつらかったー、まさに死ぬ思いでした。

あと、自分が死んだらどうなるのか、まだ分からないから。

 

アヌビス)ここで、死んだらどうなるか、詳しくご説明しよう。

まず、命を落とす。

すると、魂が体から離れる。

魂は、人型で、犬だったら、犬型で、しばらくは、地上にいた習慣で、今まで生きた通りに歩いたり、考えたり、見たり、聞いたりするんだ。

その後、しばらくはそのままで過ごした後、この状態は変だな、どうやら自分は死んだようだな、と自ら気がつく時が来る。・・・その理由は、思ったら、思った場所にテレポートできたり、地上の固形物をすり抜けたりする自分に気がつくからだ。もちろん、過去にも未来にも行ける。

その状態を経て、死後の世界へ行かなければ、という気持ちとなる。また、そういう気持ちにならない人は、そのままで地上を漂うこととなる。

(しかし、その状態はお勧めできない。なぜなら、地球がこの先も次元を上昇したら、その地球に会わない存在は、たとえ体が無くても地球上にはいられなくなり、行くところが見つからないまま、自分の意思も死後の世界に行く気が起こらなければ、乱暴に地球上からは引きはがされ、とりあえずのたまり場に集められた後、順不同に、決まった者から新しい場所に移動され、気持ちの変わらぬ者は、そこに置かれたままにならざるを得ないから。)

死後の世界へ行かなければ、と思った者は、その瞬間に、冥界の扉の前に移動できる。誰が迎えに来なくても、皆にその道が与えられる。

冥界とは、地面の下。くれぐれも天使に迎えに来てもらうとか、親しかった存在の呼ぶ声がする、とか、思わない方がいい。ぜひ自立した気持ちで、おのれの死に対応してもらいたい。ただ、死後の世界へ行かなければ、と思うだけでいいのだから。

冥界は、始めは暗いが、進めば進むほど、どんどん明るくなっていく。実はその仕組みが、歩みを前に向かわせる道しるべなのだ。

冥界にあった不自然な裁きは今はなく、人は皆、自身が望んだ場所へ、そのまま移動するのみ、転生か、はたまた転生しないのか、すべてが自由意思である。…しかしながら、地球への転生は、それへの資格があるのであり、全員が希望をかなえられることはない。

また、冥界で、先に死した者と会うことができるか、であるが、それは、行先や、その先へ進む速度が同じ者同士ならば可能だし、そうでなければ会えないことも多い。しかし、あの人のところへ、と望むことで、それぞれの波動が合えば、お互いに同席することができる可能性も高い。

これが、死後の世界である。

 

なるほど、どうもありがとうございます。

ちなみに、自殺というものは、罪であり、自殺者は、死後の世界へ行けないものなのでしょうか。地縛霊とか、浮遊霊とか、よく言いますよね。

 

アヌビス)冥界には、そういう制約はない。しかし、生きて人生を全うすることをお勧めする。なぜなら、次の世界への橋は、今世の自分にかかっているからだ。どう悩んでもいいから、悩みの中で徳を積み、少しでも成長できることが、生の目的なのだから。

また、残された者に告ぐ。実は、死を、あまり悲しまなくていい。その先の世界もあり、未来は、皆に共通して明るい未来なのであり、今の生で学んだことが、そのまま魂の成長となり、その魂がさらに成長できる道がその先に在り、愛の実現という道に、皆が邁進している状態なので、天や闇が、死した者に、独自のお仕置きやいじめをなさぬ限りは、自殺したからといって、死後苦しまされることはないし、苦しまされるいわれもない。死とは、本来、そんなに恐ろしげなものではないのだ。

 

では、死んだ時も、僕は、天とか闇にいじめられますか?それは嫌なんだけど。

 

アヌビス)死した後、君は天や闇に預かり置かれることはない。自身が、自分が行くのは冥界だ、と分かっているのだし、希望もしている、冥界に行こう、と即思えるから。

しかし、天や闇のグループに、今でも迎合し、そこの組織での働きを自ら希望し、天や闇の上役に褒められたいとか、期待にこたえたい、という希望の者は、上役次第で叱られもするし、ほめられもするだろう。その先の行き先も、自分じゃない者に決められるだろう。評価を自ら望んでいるのだから、仕方がない。

今の生で、人の評価や、天や闇に評価されることを望んで生きるのではなく、自らを見つめ、自らの一歩一歩の進歩を喜べる者は、その先もそうできる未来を希望でき、マイペースで、生と死を繰り返していける。本来ならば、そうやって急ぐことなく、充実した人生を送れるのが地球での生だった。そして、今は、その地球に戻っている。

 

安心しました。

 

アヌビス)はたから見ていて思うよ。

人間は、あらゆる魂の入ったアバターの集まり。考え方ややり方も、みな千差万別のはず。しかし、いつの間にか、天とか闇の指導やしきたりが横行しすぎていて、人間界においても、その他の種族はもちろん、天と闇の魂の持ち主でさえも、少々息苦しい縛られた感じの生活をしているのであって、その理由は、一体何なのか、と。

天と闇をも苦しめる、天と闇のしきたりの横行って、そこに意味はあるのだろうか、と。

上役の指導と言えば、下を叱る、恐喝する、脅す、そうして下の者のエネルギーや能力を奪い、罪悪感と罰を与える、それだけ、そんな指導が、なぜいいものか、と。

しかし、いいのだから、みなはそれに従っているのだろう。従うも従わないも、自由意思なのだから。

正樹の場合は、無意識にそういった勢力には迎合せず、そして、流されない努力と忍耐力で、自分が大事な者を必死で守っている。その姿勢が、彼自身をあらわしている。大変分かりやすいので、分かりやすい未来が与えられるということ。つまりは、彼自身の愛が、色濃く強く世界に映り、映った世界と同じ世界へと、死後は旅立つということ。

今世は、誰もが、自分自身を世界に表し、次の世界を決める、大事な生なのだ。地球に居られる者を吟味する、大事な生となるのだ。それをよく心得て生きてもらいたい。

 

僕は、死してはともかく、まだこれからも、生きてて異次元の存在にいじめられますか?

 

アヌビス)魂を返してもらえれば、もうそういう者たちとは縁がない。そういう者たちとは、どんな縁もなくなり、新しい自分を感じるはずだ。

一方で、正樹に魂を返した存在たちは、自分自身の魂に戻って、はたまた新しい居場所を見つけるだろう。それを幸せと思うか、不幸と思うかは、それぞれの存在次第だが、どっちにしても、与えられた魂は、今世のうちに、きちんと元の持ち主に返されて、皆が、そのままの自分になった上で、次の生へと向かわれる。

生きているうちならば、生きて次の場所へ行く。死後も、その死の直前までの自分の姿が、次の生を決めるカギとなる。

自身の希望は、そのまま反映される。

(今生きていて、常日頃思うことがそのまま。つまりは、正樹の場合は、生きるうちに発散する感情とは、愛、愛、愛、・・だから、愛ある場所へ行く。これはもう決まっている。反対に、人への憎悪や憎しみが多い者の場合、出したエネルギーそのままの場所へ行く、そのままの思いが、果たして、その者の希望となるわけだ。)

 

ならば、娘は、悲しみの場所ですか?

 

アヌビス)笑。そうではない、悲しみを感じる気持ちがやさしいのだ。やさしいところへ行くのだよ。

 

ならば、よかった。

あ、今から、娘にアクセサリーを作ってみます。

前回に続いて、今回も、お話をありがとうございます。

 

アヌビス)いつでもこよう。

 

 

 

(↓これが、娘に作ったストラップです。)

(僕は、そんなに天然石の意味を知らないので、娘を思いながら感覚で石を選んで作ったものの、なぜこの石になったのか知りたくて、意味を調べてみました。

使った石は、水晶と、マザーオブパールと、ラベンダーアメジストと、シトリン。

水晶は、浄化力でトラブル回避、幸運を引き寄せる。

マザーオブパールは、傷ついた心をやさしく包み、癒す力がある。

ラベンダーアメジストは、感情を落ち着かせて、心の安定をもたらし、大切な人との絆をしっかり結び、真実の愛を守り抜く強さを育む。

シトリンは、勇気や希望などの明るいエネルギーを呼び、よい人間関係を応援してくれる。

僕が、娘にしてやりたいことと、一致していました♪)