水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

第三章 水色のなかま ⑰正当なカルマと押し付けられた不正なカルマ,正当な人生経験と押し付けられた不正な厄

水色のなかま)あははは、君の子どもがバイオリンを弾いているね。なかなかうまいじゃないか。独学にしては、音程も取れているし。

 

ありがとうございます笑。僕の引きこもりの子は習い事の経験がありギターが弾けるので、弦の押さえ方はうまいです。あとは、動画を見て指使いを覚えたみたいです。

 

水色のなかま)その子にはいろいろ苦労もあったが、今もその子自身も苦労をしているようだが、人と比べなければその子は幸せで、こんな家族に生まれてよかったと思っている、心がうかがい知れる。

 

僕、この子のおかげで今まで誤っていた生き方や価値観を、すごくやさしい方向へ立て直すことが出来ました。慣れ親しんできた癖になっていた考え方を変えるのは、勇気もいったし、生家の家族と気持ちの結びつきを離す決心をし、それを実行することだったから、すごく大変だったけど、僕は、今の自分の方が好きです。価値観を直してよかったです。家庭が平和です。

 

水色のなかま)私から説明すると、正樹は、前回のブログにあったように、

 

mizuirononaka.hatenadiary.jp

 

生家の家系に魂を削り取られる毎日を送っていたので、育てられ方からして、正樹だけが家族から犠牲にされて、我慢させられ、正樹が少しでも能力を発揮すれば母親からののしられて押さえつけられ、ほめるべきところをけなされて良い素質をつぶされ、愚痴を聞かされ、悩みを聞かされていた。その上、正樹は、母親のために、無意識に異次元に働きかけて、母親や家族の願いを異次元的に叶えていたんだ。自分の魂を引き換えにして。

そういった生家の家族のための犠牲的生き方が、今の家族の特に正樹の子どもたちに及んでいたのは言うまでもなく、正樹の子どもたちは、生家の跡継ぎの子どもたちの家来筋のご学友のようになり、その子らの面倒を見続けていたし、正樹自身もわが子よりも生家の跡継ぎの子どもを大事にし、我が子に厳しくし、習慣的に母親の機嫌を取っていた。

そういう慢性的な間違った子育てが、正樹の子どもに寂しさを与え、今現在、正樹の引きこもりの子どもは、心療内科に通う身でもある。幼い時からの愛情や安心感が、正樹同様、正樹の子どもらにも足りなかったのである。

 

僕は、親に愛されなかったから、子どもの愛し方が分からなくて、そのままのこの子を認めてあげないで、冷たい子育てになってしまったんです。今思えば、人のカルマを背負っていたせいで、生家の家族に対して性格が悪かったから、嫌われて当然かもしれませんが。

 

水色のなかま)いや、正樹には罪はない。正樹は、母親や生家の家系のカルマを不正に押し付けられていたのだし、そのカルマを背負う人生経験は、正樹が本来用意していたものとは異なり、それゆえに、何度も人間に生まれて、生まれるたびに誰でも一つは持つ役割をいつも果たせなかったし、不正に厄を受け、正樹の存在感が、人の尻拭いと人の幸せのための犠牲でしかなかったのは、正樹を犠牲にして自分たちが助かった全員が、正樹の子どもたちを不幸にしたと言っても過言ではないだろう。

それゆえの、それに気が付いた上での、正樹の、生家との関係を断つ選択だったのだから、正樹は、子どもがいたために、我が子を救うために生き、自分をも生家の呪縛から救えたんだと、そのように思っていいだろう。

 

はい、今の幸せは、子どもたちのおかげです。

 

水色のなかま)さて、本題に入ろうと思うが、

人間には、生まれてくる意味が当然あって、その意味とは、人は皆、自らが生まれてくる目的をもってして、全体の人間たちとの兼ね合いや相互関係を熟熟踏まえた上での、全体に対する自分の役割というものがあり、それを果たすことが生まれる意味となる。

これは、皆に全員に取りこぼされずに与えられるものであり、そこの部分に公正さ以外はあってはならないものなのだ。この地球は、誰のものでもない愛の星なのだから。

しかしながら、人間として生きている途中に人のカルマを背負わされたり、言われなき罪悪感を抱かせられられたりして、自らが解消すべきカルマが増やされたため、人によっては、自分の生きる意味を達成する方向へどうにも歩めなくなる場合があり、実際のところ、転生して人間に生まれる過程で、公正で公平な人生を全員が与えられはしないで、不公平な、誰かが得をする仕組みが現にあり、そのおかしな仕組みを降り除くことが、当面のわれらの仕事とも言えるのだ。

正樹の子どもたちが、親子ともども不正なカルマを与えられた末、心を痛め、心療内科に通うことなど、あってはならなかった。

また、いったん息を吹き返して元気を取り戻した愛犬が、昨日から他の箇所に炎症が起こり、家族で交代で徹夜で看病した後、朝一で病院jへ行って落ち着くことができたが、その事件についても、おかしな厄であったと伝えておきたい。

正樹と家族と愛犬は、性格も生き方もたいして目立たず地味であり、そのまま、いろいろはありながらも、ささやかな幸せを一つ一つ築いていくような、そんな人生経験を迎えるはずだったものが、このたび愛犬の余生が損なわれたのは残念なことであった。

 

でも、僕らには、それが自分たちの人生経験で、子どもも僕たち夫婦も、今回の犬の件ですごく勉強になりました。介護能力高まりました。

 

水色のなかま)そうは言ってられないんだ、正樹。正樹には、そして子どもたちには、ちゃんと役割があって、生まれてきた意味を、きちんと達成してもらわねばならないのだから。

いいかな、正樹のスピリチュアル能力、それを社会で発揮していってもらいたい、今のように人知れずのこっそりの人助けでなく、きちんと人にその能力を明かして、その上で、奉仕なり、仕事なりを続けてほしいんだ。そのことで、これからの世が、そういった能力をもってして、自分が人生で受け取るべく正当なカルマと、正当な人生経験を受け取れるよう、人の助けとなる道が、正樹、おまえの役割なんだ。つまりは、異次元の交通整理。

そして、おまえの引きこもりの子は、おまえがその道を行くことで、不正に被っていた、正樹のスピリチュアルな経験値を高める素材としての立場を、返却することができ、この子の好きな道に進めて、不正な厄を受け取る必要もなくなるのだ。

犬ともども、子どもは、正樹に苦労を与える役を担い、正樹を不正に苦しめてきたのだが、それ自体が、犬や子ども自身を苦しめもし、結果的に、正樹の家庭に言われなき不幸が下り続けるという、理不尽なエネルギーの流れを、何者かが正樹の幸せを奪い、自分の不幸を減らさんとして、とても一般の人たちには分からぬように、仕組んでいたのだよ。

他の人々にも同じに不正に人生を作られた事実が多分にあり、皆が公正な立場で人生をそれぞれ謳歌できていないのだから、そういった魂のもつれを、一本ずつでも些細な糸からでも紐解き、皆が役割を果たせて、良き人生を送れるように、子どもを救うためにも、だいぶ遅くなってしまったが、どうか、よろしく頼みたい。

正樹が、スピリチュアル能力で生活することを皆に示せれば、多少なりとも幻聴が聞こえたり、幻視があることを、精神疾患じゃなく普通に能力として備わっているのだと、そう認識できる人が増えるし、そういう能力のある人の生きれる不安を、どうか癒してあげてほしい。それは能力なのだよ、と、堂々と生きれるべく、見守ってほしい。

 

そうかー。・・僕は、引きこもりのわが子に、スピリチュアル能力の使い方・心構えなんかを教えようかな、とも思ったんです。自分のことを、ダメな人間だと思ってもらいたくなくて。何かが聞こえちゃうのは、心療内科で治すことではないんじゃないかな、とも思って。

でも、我が子は、僕のスピリチュアルな話には興味がなく、僕のようには生きたくない意思があり、あくまで普通に生きたい子なんです。だから、本人の気持ちと実情が矛盾しているのが、現状を受け止めながらも、ちょっと違和感を感じていたんです。

僕の生き方次第で、我が子も自分の本来の生き方ができるのならば、僕がスピリチュアルな仕事をすることを、考えてみたいですね。

 

水色のなかま)みんなに本来の生き方をしてもらわなければ困るのだ。

もう、異次元の、第一、そして、第二の扉が開いてしまった。あとは、心を入れ替えるのみなのだ。歩みを整えるのみなのだ。そうしてなるべくまっすぐな心で、この先の天変地異や全体への厄を受け入れてほしいのだ。

・・・全体への厄、つまり、天変地異は起こるよ。逃れようもないこと、なぜなら、それがない道も未来にはあったが、人々が、よほど自らの地位にご執心のようで、人間の体ごと、そこの場から退いてもらわねばならない人々が多すぎるのだ。

その者らは、体を失い、魂をほかの星に移される。体があっては、ほかの星に行かぬとごねるから、体を、まずは、そこの場から無くさねばなるまい。ほかの星は住みやすい、自分と同じような者しかいないのだからな。

最後に、正樹よ、子どもには愛しかいらぬ、あとは自分で生きるから。

 

はい。分かりました。ありがとうございます。

 

水色のなかま)天変地異のあとこそが、おまえの本当の人生の始まりだぞ。

 

はい。

 

 

 

 

 

(僕は、先日の午後のロードショウでこの映画を見て、感動して泣きました。僕は、精神疾患と人からは思われる一人の老人の夢遊病を、おかしいとは思えなかった。ちゃんと理由があったし、この人は自分の心の理解者には礼儀正しく、この人の方が周りの人たちよりも、人生をちゃんと生きていて、真実の愛を分かってもいたから。だから、ウォルター少年は、この二人の老人が大好きだったし、この二人の最後を自分が迎えることになっても、悲しい気持ちがなかったんだと思う。最後まで、いい人生を生ききったんだと分かっていたから。ウォルター少年に出会えた二人は、最高に幸せだったと僕は思います。ウォルター少年のような誰かの理解者に、僕は、なれるだろうか。)

 


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