水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

自分のこと好き、直すところないという気付き

(僕んちの犬、またメダカと寝てる。かわいい笑。

・・話は変わるけど、僕は人生を振り返って、僕はどうして生まれているんだろうと思うことがある。そのたびに、家族の魂の関係性をあれこれ妄想してみたりする。

たぶん、僕は妻に助けられて、よりよき子育てをやろうとしてここに生まれてきた、その子育てが僕には対人関係の大きな学びであって、家族という一生離れられない関係において、子どもとずっと学び続けるんだろう、僕の課題が終わるまで。

ところで、課題って何だろうね。

僕は、もう課題なんてないような気がしてる。生まれる前には持っていたかもしれないけど。課題なんてない方が、絶対よい子育てできるよね。僕はそう思う。)

 

 

天の使いさん)神が来ておられます。話しますか?

 

(はい、お願いいたします。)

 

天の使いさん)正樹か、どうした、なにかあったのか?

 

(いや、なんでも、・・なーんだ、あなたのほうに僕に用があったのかと思いました。)

 

天の使いさん)ならばよい、用がなければ話す必要もない。

 

(あ、ではお聞きしたいことがあるのですがよろしいでしょうか。)

 

天の使いさん)いつまでも受け身のままではいけない、話しなさい、それについて答えるから。

 

(はい。ごもっともです。では話します。

 

僕には、生まれる前に自分の中に課題があったと思うんですよ。こんな親になりたいとか、子どもにこう接してやれる親になりたいとか。でも今は、その課題が自分の中にないような気がしています。

その理由は、課題が達成できたからではなくて、生まれてから今まで、課題が達成できるための人生を生きてきたように思うのですが、最近は自らの魂粒子が返ってきて自分自身に戻りつつあり、自分には直すところは一つもない、という気持ちが心を占め始めているんです。

僕自身の魂は、もともとそういう気持ちを持った魂だったんだろうなーと思います。もしかして、それまで持っていた人様の魂が、自分には課題があると思わせていたのかなーと。・・これは妄想でしょうか。)

 

天の使いさん)そのことを話すとなると、皆に少々注釈がいるがよいだろうか。

これは、正樹に限ったことではなく、皆にも当てはまることで、正樹の言った通りのことが、この地球に命を持つ前に、皆はどんな人生を送りたいかと聞かれ、その望みがおおかた叶えられる生き方ができるのが、地球だとお伝えしておこう、まずはそれが一つ。

その次に言うべきものは、正樹が特別自分に自信があるのではなく、皆も魂として存在を始めた時は、どこも直すところがない存在としてそこにあるのじゃ、でなければ存在するはずがない。

しかしじゃ、地球のような、呉越同舟、さまざまな特性を持った魂が一堂に会する場所となると話は別、人の能力をうらやましいと思ったり、人に勝ちたいと思ったり、そういった、人と自分とを比べて嘆くという行為が、皆の心を占めることになる、それが二つ目。

そこでじゃ、次の転生でまた聞かれる、おのれはどんな人生を歩みたいかと。その問いに、どんどんと、自分に向いた生き方でなく人の所作、人が置かれる立場へのあこがれの気持ちが希望となってそこに表される。すると、皆人生で苦労することとなる。なぜならば、隣の芝生の青さばかりを見て、自分に向いた人生を正確に思い描くことができなくなるからだ、そのことが三つ目。

そして何が行われたかというと、魂の交換じゃ。互いに相手のような人生を歩みたいと双方が望んだ時、双方の希望を叶えるため、魂を一部交換して地上に送る。それをすることで、相手の考えを知ったり苦労を知ったりすることができると同時に、自分は本当にそういった生き方を望んでいたかを問うことができるのだが、あまりに強く相手の立場を望んでいた者は、その立場に必死ですがり、いくら苦労した所でその立場を手放す気はない状態ともなる、これが四つ目。

そして、正樹のように、自分のそのままがやっぱり一番だと思える人と、石にかじりついてでも、このせっかく手に入れた魂を相手に返すことだけはしまいと、強い意志のある者と別れ、後者は、前者がすっきりしているのに対して、どんなに時間がかかっても自分を愛せないので、双方の幸せを考えた場合、少々問題ではある、これが5つ目。

 

さて、この注釈を踏まえて、私から話をさせていただこうと思う。

正樹はこう思った。『人が、自分のことを好きになれない理由ってなんだろう』と。

そして、母のことを思った。今までのメッセージによると、母は、大きな神々からいらない部分を集めて作られた毒神の化身だったらしいが、

地球は再び楽園に向かっている1 - 水色のなかま (hatenadiary.jp)

もしそうだったなら、大きな神々の毒神への態度があまりよくなかったんじゃないのかと。おまえは私たちのいらないものを集めた魂だ、と言われて、嬉しいはずがないと。

正樹は思った。母が、正樹の魂を握って離さず、正樹が返してもらおうとすると呪ったり憎んだりの念が来ていたが、母がそのままの自分を好きになれたなら、そういう感情をきっと抱かなかっただろう、僕の魂が僕に全部帰ってきたならば、母に、そのままでいいんだよ、と言ってあげられるのにと。

正樹よ、その気持ちは嬉しいが、毒神は毒神、そのままでいいわけがないんだ。それに、正樹の”自分を愛する魂”をどんどん与えても、彼女は決して自身のことを好きになることがなかった。だから、その理論は意味がないんだよ。残念だけど、彼女をもう救えない。

今後も彼女は、自身をダメな存在だと思い込み、次も、またその次の転生も、自らを改革するための修行の道を選び、苦しみぬいて一生を終えるを選ぶんだろう。正樹の魂粒子を全部返してもそうなるだろう。そして転生のたびに、次は正樹でなく、他の誰かに焦点を当てて、その者の人生を乗っ取り、その者に勝ち、そして死に、どんどんと人を愛することを忘れていくだろう。悲しいが、仕方のない道なんじゃ。

 

(僕は、母が誰よりも意志が強く、根気があって、行動を形に残す技に長けていると思うけど、その技が役立つ環境に行かせてあげたらいいんじゃない?母に恩のある人たちとともに。それでは母を幸せにはできない?)

 

天の使いさん)もういいのだ。母には母の人生がある。おまえには関係がないのだ。

天というものは、大きな神が、そこの場を仕切っているわけではなく、例えば神に取り入って、誰を幸せにする、誰を不幸にするなどと、地球での人生が決められるような場所ではない、すべてはサポート体制、天の神々はサポートが仕事であって物事の決定権はないのじゃ。

地球での人生は、すべてその者の本質により決められる、こんな人生を歩みたい、の希望を聞くのが天なのだ。だから、おまえにはもう学びはない、それを望んでいないからだ。人生の途中でそれに気づくことがある、そして、それでいいのだ、それが正解。

おまえの母の場合、きっと一生そうは思えぬだろう、まだ足りない、まだ足りないと、自分の能力を呪い、無き能力を得ようとし、それを持つ者をまた陥れ、その力をまんまと奪い、その者の人生を生きることに喜びを感じるのだろう。それは止められん、相手がそれを強く拒否できねば、ずっと、一生、そして転生を繰り返しながら何度も何度も同じことの繰り返しが行われる、それしかないのじゃ。

おまえは、母が自分らしくいられる場所を与えれば、母がそこで安らかに過ごせるとこう思うのであろう。しかしそうではない、人のものを欲しがる癖は永遠に続く、いろいろな人と会うごとに、いろいろな存在と出会うごとに、母は、おのれをどんどん嫌いになっていくのであろう。それでは、誰も母を救えない。

 

(そういうものなのかー。)

 

天の使いさん)正樹はもう母に振り回されるのをやめなさい。もう十分にやってきたし、もう悔いもないであろう。

 

(はい、悔いはありません、ですが、)

 

天の使いさん)そう、正樹はそういう性格だから母に長く捕まっておった。もう再び捕まるなよ、子どもたちの幸せも、もうそこまで来ている今、正樹が、自分の魂粒子を全部取り戻した時が、そなたら家族の新しい門出となり、家族の笑顔が、本当の意味でも笑顔が生まれる瞬間が、あとわずかで叶えられるのだから。母の魂の影響がなくなってやさしくなった正樹には、再び母が悪くないように思えよう、しかし、明らかに、家族への害はあるのだ。もう手を引きなさい。責任も捨てなさい。もう十分にやったんだから。

 

(分かりました。子どもたちには、これ以上無理させられない。)

 

天の使いさん)そういうことだ。

 

(たくさんの愛をありがとうございます。)

 

天の使いさん)いや、天は公平、そなただけに愛は注がん、そう、天とはそういう場所、その者に対して良かれと思うアドバイスしかせぬ、どう取るは勝手だがな。

天と話す時、鏡の自分に皆会うだろう。

 

(はい。)

 

 

 

 

 

 

 


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