水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

地球に新しいマトリックスが

(昨日は、ブログを書いた後、また僕の異次元ではいろいろなことがあり、魂を入れられ、覚醒反応?みたいなこともあって、午後はすこし意識を失うように寝てしまいました。昨日は、僕になにがあったんでしょうか。

午前中の、引きこもりのわが子と過ごす時間はすごく楽しかった。二人で買い物に出かけ、二人であれこれふざけ合って帰ってきて、二人で家事をして、まだじゃれて。笑・・だから、十分良い一日だったんだけどね。)

 

体のことはいい、心配はいらない。

おまえが言うように、覚醒反応と、おまえの人に貸していた粒子が少量ずつ入り、それにくっついていた今までの持ち主の思念や負のエネルギーを、少し感じただけで、今まで通りたわいない試みがなされ、おまえの愛がまされ、おまえのそのままが異次元を含む世界中に表され、今、そこにあるだけの身、普通の人間たちとのかかわりに未練があるかのように感じられても、その意識は、まだおまえが社会に戻って、人間と関わり合って欲しいという、さまざまな存在からのリクエストの気持ちがおまえに入り込んでいるだけで、おまえは、ただひたすらに、タイプの違う子どもらを愛したいだけだから、そのままでできるかぎりの生活をしていればいいだけ、以前の生活に未練があるは、おまえではないから。

 

(どうもありがとうございます。天の存在の方ですか?)

 

そう。おまえのことが気がかりで、ずっと見てきた。でも、これからは、こうして話ができることを、喜ばしく思っている。この先は、私がおまえにメッセージを伝えたり、いろいろ教えたりする。それを読む、その情報が必要な者も、参考にできるようにな。

 

(分かりました。)

 

 

天は、あまたの魂を地球に送り、地球を、愛の星地球を、人が住め得る場所にしようと試みた。実際見た通り、人が住めるようになった。その前は、人が住めなかった。なぜなら、人とは、神に似せて作った生き物であり、三次元に生き、他の生き物と性質を異ならせておるからであって、人とは、神がものを思うように思い、原始的な本能に身を任せている動物と違って、とても知性の部分が大きな生き物だから、そこに住まう動物とは、袂を分かつ生物と言ってよかった。

しかしながら、今現在人に身をやつしている存在は、神だけでなく、神のしもべから始まって、異次元生物、そして、自然の息吹から生まれる自然神、また、異世界から言えば、地の存在である闇の存在、闇に住まう生き物、闇の神はめったに人にはならぬが、少し入るかもしれぬ、そして、ちょうど天と闇の真ん中に位置する場所に、もう一世界あり、そこの存在たち、その上、地球外の宇宙から、この地球に魂を忍ばせて生きている面々もいる。ちなみに、その者らは、地球に、すでに他の星では常識となったテクノロジーや、生き方考え方、組織の仕組み、万民の整え方など、そういった新しい知識や経験を、地球に広めるためにやってきている面々である。

また、おまえなどは、こうしたすべての者たちと、対等に話せる稀有な魂で、それゆえに、まだまだ上下関係を重んじている人々とは、若干合わない一面もあるが、それもそのうち大丈夫になるように思う。なぜなら、マトリックスが、旧から新に変わったからじゃ。

 

マトリックスとは、例えば、地球なら地球の、全体の統治に必要な知恵や知識、常識などのことで、旧来は、わりと弱肉強食、できるだけは愛に沿った判断、ほぼ年功序列、心と行動は別物、愛と言い張れば愛、できないは仕方がない、このような物がられつされるように思う。

しかし、新しくは、愛至上主義、どんなものよりも愛が一番尊い、外見でなく中身の充実、行動と心が伴うがよし、誰でも一番だし誰も悪くはない、ワンネスを大事に、おおよそ、このような物がそこには組み込まれている。

よって、そのマトリックスを作る立役者は、闇の存在となるのだが、闇が、天を、いやおうなしに取り締まっていく。

闇は、新しいマトリックスを実際守り、守れている存在を良しとし、守れていない存在を良くないとし、どんどんとさばいていく。自然、新しいマトリックスを受け入れられる人物が、人間界でも立場を上にし、異次元で、闇によりお叱りを受ける、新しい決まりにそぐわない人物は、自然に力をなくしていく。

闇は、異次元で何をしていくかというと、どんどんと、目には目を、歯には歯をを与えていく。例えば、一人の人物が、だれかに、ネガティブな感情をぶつけたとする、一瞬は、その人物は、ネガティブを発散できてすっきりする、しかし、その瞬間に、闇は、そのネガティブエネルギーを、与えた人物に返していく。結果、ネガティブな気持ちで暮らす者は、他者への発散を許されず、ずっとネガティブを抱えて生きていくことになる。

そうすると、人々は、自分の生活スタイルを見直さざるを得なくなる。自分がストレスを溜めない生き方とは何か、どんな職業が合っていて自分らしいか、会社にあって、どんな立場が自分らしいか、また、どんな会社に勤めることが自分の本意か、そういう自らの、我慢しない状態での自然体な姿に注目し、生きる場所を選んでいけるようになる。必ずしも、高収入とか高学歴が、人の幸せではないので、人々の本当の幸せを模索する日々が始まり、自分の居所をどんどん吟味し、取り返し、真実に、どんどん近づいて行ける。

そのように皆がなっていくと、自然とそこにはワンネスが出来上がる。最初は苦しいが、だんだんと人にネガティブを与えなくても生きていけるようになる。自分にストレスを溜めない生き方は、それぞれを互いに尊重できる社会、ワンネスにしかないんだから、自然、ワンネスになっていくのが、これからの人間社会である。

もうマトリックスが入れ替わったのだから、今後は、いやおうなしにこうなる。やさしくないと自滅する、人に当たると自分はもっと多くのネガティブを背負うこととなる。もう始まっているから、みんな、心を入れ替えて、自分が楽しい思いのできる生活に切り替えて、人とのおかしなしがらみや、上下関係、仲間意識、数に物を言わせる弱肉強食意識、そのような物を一つずつ、我が身からはいでいけるよう、ぜひ心がけていってほしいものだ。

もう一度言う、マトリックスは、すでに新しくなっている。発動もしている。自分をやさしい人と思っていた者が、苦しむこともある。理由は、本当にはやさしくないからだ。

また、闇は、異次元だけでなく、日常にも人々の隣にはびこり、いやな思考をこれでもかとささやき、人を堕落させようとする。その声の通りにすると堕落するわけではない。言うことを素直に聞く素朴な人々には、そのようなことは与えない、そういう人々は、たとえ従っても悪者とはみなされない、ただ、そこを通り過ぎるだけ。でも、かたくなに突っぱねてさえいても、その者のよこしまさが感じられたとたんに、その者は悪と見なされ、それ相応の待遇を闇から受ける。目には目を、歯には歯を、である。

人々は、新しいマトリックスのもとで、このような仕組みで成長していき、命の尽きる頃、人生の集大成を迎える。

ちなみに、あのノアは、人生の最後を、映画通りに迎えた。神に仕え、神の言うとおりに生き、一度は成功し、その後、神は役目を手放させ、その前には、そうした自分の判断を促す試練を与え、ノアは、神の言葉と愛とのはざまで苦しみ、神を取ろうとして、すんでのところで愛を取り、自分が罰を受ける覚悟をした。そういう試練が、今まで神の意思を尊重して生きてきた者に与えられ、皆それぞれ試練を受けるが、その時に愛を取らなかった者らが、きっと一人ぼっちとなり、ノアのように自暴自棄になっても家族は見捨てずのような、そういった結末になることは決してない。神が愛だと思うなら、自分が愛を体現するべきである。愛を大事にしない神はいないから、それを言われたときは、大いに反発するべきである、自分にはできない、と。それを経て、神に従っていた者たちが、皆、人間に戻っていける。皆にそういう道を用意している。

愛を取らなかった者らは、一人となり、愛は、人と会い(愛・合い)、人に取り巻かれていく、そうして、ワンネスの渦が、どんどん大きくなっていく。愛を取らなかった者は、死後、愛でない世界へ行く。その世界のことは、今は言わないでおく。

本日は、以上である。

 

 

ノア 約束の舟 (吹替版)

ノア 約束の舟 (吹替版)

  • レイ ウィンストン
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(ありがとうございます。

僕がここにメッセージを書くことで、何かの役に立てたらいいです。)

 

役に立ち、自然、愛の気持ちでこれをやるおまえは、恵まれるだろう。おまえはやりたくないことはやらないから、異次元から見ても、おまえの気持ちがよく分かる。

生き方の例で、何が愛なのか、異次元でないと分からないことだらけだが、2,3説明すると、このブログを書く正樹がいる、このブログは、神々より書いてほしいと懇願されて、自分の生き方をその要望に寄せて書いている状態、正樹は、金銭のもうけをこのブログで企業を応援することで得ることで利益があったらいいなと思っている、しかも、自分がいいと思うものをお勧めする場であったらいいなとも思っている、サロンをやってみようかと思ってもいるが、自信がないし、いくらの報酬でやったらいいのかも迷っている、家庭が円満ならいいと思っている、子どもによい影響を与えられる大人でありたいと思っている、普通の人たちにも自分が何かできないかなと思っている、そういった思いやりの輪に自分の居場所を見つけたいと思っている、弱肉強食や上下関係の輪を応援することは極力避けたいと思っている、自分の気持ちに反することがない形で金銭が得られたらいいなと思っている、・・など、正樹の心を紹介してみたが、

この中に、金銭を得る、とあっても、どこか欲張りないやらしさを感じないように思わないだろうか。サロンを開く気持ちが無きにしも非ずだが、そのことについても、自分の立ち位置については慎重でありたいし、人に喜ばれ、家族の円満さを増すような試みならしてみたいが、そうでなければやらないでもいいなど、物事に対する判断基準が、誰かの幸せを産むか産まないか、によるところも、なんとなくやさしい雰囲気がするだろう。

一概に、これが愛、これは愛じゃない、とは説明できないが、何かをするときにこそ、なぜ自分はこれをしたいのか、という自分の心に焦点を当てて見つめてみることが、大切なのではなかろうかと思う。それを通して、どういう自分なのか、考えてみることもよいだろう。

 

(ありがとうございます。

僕には、異次元のことや、異次元から見た自分のこと、この先の地球のことは分かりませんが、いただいた言葉を、これからの生活に役立てていきたいです。)