水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

ケチな人の心理と霊団について

今か今かと待ちかねたぞ。

 

(え、っと、何かお話がありそうですね。)

 

そうであろう。おまえの一歩、二歩、三歩のせいで、新たな扉がまた開いた。個人の勇気ある一歩がこうして異次元全体に関係するなどと、よもや想像できぬことだろう。そのことが、一人の常識でなく、みな一人一人に言えるのだから、そうして世界というものは、異次元でも現実でも変わっていくものだから、一人一人が自ら自覚を持ち、自分の一歩を踏み出していくことがいかにして大切か、強い者に巻かれたり、弱い者の真実をないがしろにしたりが、いかに無駄な時間を過ごしているか、その一歩こそが世界を変える鍵で、一人一人が鍵を持っていて、自らの世界を変え、全体の世界をも変える力があるということを、合わせ鏡の自分のように、ずっとずっとそういったドミノ倒しは続き、永遠に新しくすべてが様変わりするが普通の通常の世界であり、身の置きどが変わるたびに、そこの世界観に自らが影響を与えていくなど、みな気が付きもしないのが一般常識では、なんとも嘆かわしいのだ。

 

(異次元の言葉は、なんだか難解ですね。)

 

そういった部分も世界観の一部、そのままを書き写すのがおまえの仕事と言えよう、がんばれ。

 

(はいはい。)

 

では、今日は、おまえの生活の中で、おまえ自身が『自分はケチなのか?がめついのか?』という疑問を己に持ったので、そのことについて答えておくことにする。

はっきり言って、おまえはケチじゃ、そして、がめついのじゃ。そして、おまえの周りの者もそう、もっと言えば、地球の存在はみんなそう、そして、宇宙の存在も、ケチでがめつくて、異次元もそう、天の神様もそうで、大いなる意志だってそうなんだ、‥そういう答えで許してくれるだろうか。

 

(はい。僕は、ケチでがめついです。でも、神様までがそうなのは知らなかった。)

 

異次元でのケチは、思いのケチ、そして、現実のケチは、金銭とか財産に対するケチ、そこに溜めておきたいという意識、そして、両方のケチは、もう救いようのないケチであり、どちらかがケチならば、まだ救いようがある、という認識。

 

(いったい、どういう意味なんでしょうか。)

 

それだけのことじゃ。

 

(今日の話は、これだけですか?)

 

・・・・、

 

(いったいあなたは誰なんですか?)

(お経が聞こえるけど、お坊さんの魂?禅問答ですか?

 

・・・・。

 

おまえになら話してもいいか。

私は、神とは程遠い存在、しかし、人間でもない、人間だったことはあるが、今は宇宙にさまよう生命の霊とでも言っておこう。しかし、人だけではない、そこには友達の動物たちや魚たち、一般には知られざる妖怪と言われる類の生き物たち、割と気の合うものがこうして一緒に旅をする、そんな存在なんだ。人間の霊である自分が、この霊グループの頭、代表、しかし、皆が皆、意識を消すことなくついてきている、まるで頭をたくさん持つ生き物のように、我らは、その人に合った部分で接する、そんな存在なのである。おまえはまともだから、負荷もかけず、私が代表として話し、ほかの霊には見守っていてもらう。

 

(へー、そんな仕組みになっているんですか。)

 

そう、仲が良い、気が合うものでまとまるのが、死後の世界の我らであり、人間も動物も、気が合うものと固まり、または、同程度の者と隣り合い、そこからは、運命を共にするのが我らの常識であり、道であるということ。

 

(死んだあとは、一目散に成仏するのではありませんか?)

 

死んだらこの状態。ほとんどの者がそう、特に、我がまま気ままに生きているやつは、死後にこうしてグループ活動をしなければならなくなる、嫌でも一緒にいなければならなくなる。誰かと離れて、新しい友達や人間関係を構築した者は、死後この様にはならないので安心してほしい。

 

(そうして浮遊して、どうするんですか?)

 

浮遊は、新しい世界へ行くまでの準備期間、

実はな、おまえではなく、とむ君について聞かせたいんじゃ。この浮遊霊団の状態が、とむ君の死後なのじゃ、そうして、もう一度世間を見直して、次の将来生まれ変わった土地で、失敗しないよう努めることが、来世の道としてあっているのじゃ、もう決まった、決まってしまった。

死んだおじいちゃんより2 と 神と悪魔と - 水色のなかま (hatenadiary.jp)

 

(芸術家として輝かしく働き、大きな富も得られた人物としては、霊団の一部になるというのは、いささかふさわしくないように感じますが。)

 

分かるだろうか、今すでに、生きている身で霊団に取り込まれていることを。とむ君は、ケチじゃ。おまえのようにケチじゃないものには分からぬだろう。

 

(さっきは僕のことをケチだと言いましたが。)

 

禅問答が分からぬか?そうしてお前の心のありどや、本当の魂を感じることが、この場合必要だったから、試したまで。おまえは実は、ケチじゃない。

 

(でも、とむ君はケチで、それゆえに、動物とか妖怪の魂と一緒の霊団に、生きている今もすでに取り込まれている、ということですよね。)

 

そういうことだ。

 

(一体どういうことなのか。・・)

 

とりあえず、我らの霊団にとむ君が引き込まれている、ということは、我らと魂的に釣り合いがとれているからで、死んでから、世間を見て、何が真実で真実ではないのか、見極めることを身に着けてから、次の世界に飛ばされる身だということ、その間、来世生きる時もまた、我ら霊団とともにいること。

霊団はつまりはケチな霊団、おまえは、その雰囲気を感じて、自分の心をケチだと思ったのみ、そういう影響も皆に与えつつ、我らは生き、というか漂い、とむ君に憑き、言葉を発せさせ、生きさせる。自分以外の幸せなど一切考えないとむ君だからこそ、こういう霊団に憑かれるのだということ、ケチは、相手をもケチに見せ、そのくせ、自分のケチを棚に上げるので、相手をケチと思い、自分を守ろうとする、おまえとは正反対、おまえは、自分をケチと言われて、そうだなーと思うくらいおおらかで、そういう者は、自然ケチが遠のき、我らも、おまえからは遠のこうと思っているのである。

 

(え、っと、つまり、とむ君は、いい状態ではないということ?)

 

つり合いが取れたものと道を同じくするのは当たり前のこと、良いも悪いもないのだ。

 

(そうなんでしょうけどね。ちょっと気になるな。・・)

 

今日は、世の常である、似た者同士が引き合う関係をお伝えしようと思ったのだ。おまえと似た者が始終近づき交流が深まっているのが現実で分かっていよう。

とむ君は、異次元でそういう存在を探したまで、人間をどうしても信じられず、きれいな、完璧な世界を夢に見るあまり、現実を否定し、人の心を見ないでイメージだけで、きつい助言を受け入れようとしない、つまりは、愛を受け取らない方針を色濃くしているから、そういったものの価値観が釣り合う存在が近づき、霊団を作っているということ。

これまでのインスピレーションはないのに、さらなるインスピレーションを欲しがることで、現実を避け、結果、異次元で、自分レベルの者に囲まれ、自分の不完全さを現実に露呈する結果となり、それではまずいよ、という弟の助言があり、それを真っ向から否定し、自分の霊団と自分勝手な道を歩こうとしている者に、はっきり言う、未来はない。

 

(僕たちが助けてもだめなんでしょうか。)

 

愛が、愛に反応する。愛は愛に、そして、ケチはケチに、周りの者を全部ケチにするまで。そうして、ケチにするのを終えたとたん、その者の命は破城する。つまりは、死に至るということ。

 

(ちょっと、物騒なメッセージですね。とむ君が、もうすぐ死ぬということ?)

 

おそらくはな。霊団の声を聴きすぎているから。

 

(なんか分かる気がします。)

 

この後の後始末は、おまえが頼む。

 

(これが本当だったら、もうどうにもできないのかな・・)

(僕は、とむ君と話し、弟さんと話し、二人の間を取り持とうとした。弟さんの真意がわかり、僕は安心した。やっぱりとむ君を心配して、身内の愛で、苦言を呈していたことが分かったから。でも、とむ君の話は、自分本位のものばかりだったから、この先も、弟さんの愛のありどを伝えていこうと思っていたのだけど。

とむ君が、その果てに、死ぬというのはうそですよね?)

 

後始末、頼むよ。

 

(・・なんてことだー。)

(・・というか、ケチでも生きてていいじゃん。なんでダメなんだよ。)