水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

死んだおじいちゃんより2 と 神と悪魔と

でかした、よくやった!

 

(昨日は疲れました。でも、面白かった。)

 

49日の法要をありがとう。

 

(いやー、僕がやったのは、法要後の食事会のための会場予約だけだから。)

 

そんなことはない、もめてるみんなを調整してくれたじゃないか。

 死んだおじいちゃんより - 水色のなかま (hatenadiary.jp)

 

(・・・、まあ、とっさに言葉が出てきただけですから。)

 

とむ君は芸術家で、日常において高い波動のインスピレーションを求める癖があって、日常生活に大事な家事能力や時間の感覚があまりない。そのため、家事能力に長けている弟の言葉につい傷ついてしまう。しかし、とむ君を心配して正しいことを言っている弟側につく者も多くて、昨日は、俺が死んでから片付けを一切しないとむ君が、みんなにいろいろ言われていた。しかし、おまえの一言で、そこから和気あいあいムードに変わってしまった。おまえはおまえで、他人の僕が言いすぎてでしゃばったかな、と少々悩んだみたいだがな。小気味よい眺めであった。

 

(やっぱり僕みたいのが仕切ってしまったら、ご家族のためにならないでしょ?)

 

いや、あの一言だけで、あとは仕切ってはおらぬ、上から目線でもなかった。おまえは一言、『とむくんと弟さんではやり方が違うけど、妻を含めて三人で協力して片付けをやっていかないと、この家は三人のものなんだから。弟さんは違うことに気づいてくれているんだよ、安全とか、時間がないとか、相続税を払うための期限も迫ってくるんだし。』と。そこから、みんなで協力しようのムードが高まった。

 

(ははは・・、なんとも自分では分かりませんが。)

 

ここからは、俺じゃなく、おまえに別の存在が来たみたいじゃ。とにかく、ありがとう、助かったよ。では。

 

(うん。こちらこそありがとう。)

 (誰だろう、異次元の声の存在が変わります。)

 

(僕が勝手だから、見捨てたんじゃなかったんですか?)

 神に見捨てられるということ - 水色のなかま (hatenadiary.jp)

 

笑、まあよい、一から説明するとしよう。

声の主には、いろいろ違っても似通った感じの者が多くおり、いかにも貴様にメッセージを与える偉い存在としての容貌を感じさせることも簡単なんでな。この一文のうち、声のイメージが変わったのが分かるだろうか。

 

(はい、体が感じるものも違いがあり、いつの間にかまた戻ったような、まだ違ったままみたいな。)

 

そう、そういうふうにして我らは声を使い分けては、事あるごとに人の耳元でささやく。いいかな、今のおまえは、前の段階から一段昇った、分かるかな、それに合った内容のメッセージを与えている。それには、声の主のイメージなどはいらぬ、どんな声でもおまえは真摯にまず受け取る、そういう姿勢が大事、その域に達するのは並大抵じゃない。みな、怪しい声には反応せず、無視、自分にとって良い印象の声にはついていく、光、とか、ポジティブな雰囲気、とか、すがすがしい感じ、とか、目指したい雰囲気を好み、そういう声を与え、人を導くが基本の基本、つまりは、若干人間が未熟なものが、声ごとに、悪だ、または、善の声だ、と判断して聞く聞かないを決めるということ。神に見捨てるも拾うも本当はないんだ、ただ次の段階の使徒に引き継がれるのみ。

 

(へーなるほどね。)

 

安心したか?

 

(僕は、突っ走るタイプ、こわくても不安でも、自分の正しさの前にはストップとか様子見がかけられなくて、確かめてみよう、となっちゃう。だから、次の段階にもいけたのかもだけど、この情報は、みんなにはホッとする出来事だと思います。)

 

そう、だが、そう聞いていても、自分が感じる恐怖感からは、みな逃れられぬだろう。おまえは、一体誰の声を聴いていると思うのだ?

 

(悪魔?かな・・?)

 

そう、なんで分かった?

 

(最近、気になって悪魔の出てくる映画を見たから、予感とか、もしかしたらご縁があるのかもと思っていました。)

 

そう、悪魔の部分の私だ。つまりは、神は、悪魔でもあり神でもあり、ありとあらゆる存在なのだ。

 

(なんとなくわかりますよ。そして、接する全てが自分だってこと。接する者すべての意見を自分が総合して、行く道や方針を自分がその都度決め、自分が歩いていくのが人生だってこと。だから、悪魔も本当は怖くはないんだ。)

 

では、おまえの恐怖とはなんだ?

悪魔は、人の抱える恐怖を増幅させて、道じゃない道を歩かせるのが得意な種族、おまえは、悪魔をこわくないという、なぜなんだ。

 

(自分のことが怖くないからです。)

 

正解だな。もう何も言うことはない。

 

(だって、自分は、いくらでもやり直せるし、いくらでも軌道修正できる、だから、間違ってもいいし、未熟でもいい、だからなにも悩みいらない、自分の子どもも、どんな子どもだって自分に接しているのなら自分の一部なんです。子どもを好きになればいい。好きになるのが修行なんです、たぶん。)

 

そこまで分かっているとは。

 

(分かっていても、実際にはそういった行動を移せなかった。)

 

それは、母親の魂カルマを抱えていたからだ。

おまえ自身がどこか母親と似ていた、というか、母親のカルマを繰り返す状態が世界を作り、母親が受けるべきカルマをおまえが受け、意味のない学びがそこに在ったから、母親はおまえを悪いと思い、自分を鍛えるどころかおまえを攻撃し、そうすることで母親は自分のカルマを消せると思っていた、そんなこと無理なのに。

 

(…無理でしょうね、地球はそういうふうにできていないから。)

 

母親のカルマを手放し、母親の立場を底上げしていたおまえ自身の魂を取り戻してから、やはりさえているな。

 

(急に、いろいろできるようになっちゃって。笑)

 

悪魔だが伝えよう。

ここからがおまえの本当の道、長かっただろうが、今までは、母親を始め、おまえがカルマを背負い、その代わりに自分の魂を与え、立場を底上げしてやってきた人々の人生をなぞってきただけのこと。そして、自ら成長し、ここまで上がってきた。愛じゃないと戻らない魂、愛になるごとに戻ってきた魂、愛に惹かれる魂の質、つまりは、おまえと人との間で、おまえの魂は、次々愛でいる方の体へ流れた。おまえは苦しくとも愛だった。そして、とうとう自分の魂が全部帰ってきた。愛だったから自然、戻った。ある意味ゴール、そして、ここからがスタート、よく生きなさい。

 

(はい。分かりました。おっしゃることがすべて納得がいきます。はじめから分かっていたのかな。)

 

それをしたくて地球に降り、自分の魂がほんの少なく、あとはみなのカルマを抱えた身で、よく愛になれた、気をしっかり持ち、どんな場面でもとっさで愛に、見事だった、きれいだった。

 

(ははは!たましいだけならね、実物ははっきり言って不細工だ。笑)

 

そのことも認めて喜ぶか?笑

 

(はい。この自分が好きですから。)

(地獄の悪魔と天の神様が一緒とは、笑えるね。笑!)