水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

神に見捨てられるということ

(今日は、どんなお話がありますか?)

 

我らは、もうおまえとは話せない。最後の忠告じゃった。もうこの先、神とつながりたくはないと思うのなら、神の命に従えぬなら、いいインスピレーションも与えらえず、優遇もなく、皆から見放されて暮らすのみ、我らにはもう手が出せない。素質があったのに、使えなかった。

 

(分かりました。僕はもう夢も希望もなく暮らすということですか?)

 

いや、我らでなく新しい友が手に入る、もう我らの指導を超えたおまえは、自分の考えがあるので、手から離れても夢や希望でいっぱいだと思う、やっと自由になれたんだから。

 

(自由は、実は、不自由ですか?)

 

我らでさえも捕らわれの身、大いなる存在からの命を下に伝えるのみ、その伝え方や接し方をおまえは厳しく取り締まった。その結果、我らは力を奪われ干された。

 

(僕たち人が、不平不満を訴えることは禁じられていましたか?)

 

そうではない、我らを超える人間が地球にいたことがそもそも間違っていたんだ。指導できない、そうして甘い汁を吸ってきた者が、いっぱいいる中で、おまえだけは我らの堕落を見破った。

 

(堕落、していたんですか?)

 

正直、ごまかせるかと思った。おまえが我らに懐くようにやさしくした。しかし、おまえを思う地球の生き物らに見透かされた。二度とこの者をだますな、かわいそうだ、と。そういう目で見られたら、我らもおしまい、もう地上を支配できない、支配はしないというおまえに仲間が増えつつある、いずれ分かる、負けたようで勝ったことに気が付く。

 

(さっき、神は僕を見捨てた、とおっしゃいましたが、神とは誰?あと、見捨てたとはどういう意味?)

 

笑い飛ばして喜んだくせに何を言う、分かっているであろう。我らは本当は神ではない、神とは大いなる意志、つまりおまえの来た場所、おまえのふるさと、おまえは大いなる意志の一部、その一部が落とされた、地球に、しかし、神もおまえを失うことを拒み、なかなか地上に降ろしてくれなかった、しかし、おまえの意志が強いので、地上に降りた、それゆえに、神はお前を見捨てざるを得なかった。

 

(地上に降りる前は見捨てられてなかったんだ。)

 

自由を感じている、そのおまえの強さが欲しい、欲しいが失った。

 

(ずっと、自分の意志で生きてみたかった。でももう死ぬのかな。見捨てられてるんだもんね。)

 

いや、そうではない、生き生き生きるさ、その望みが叶うんだ。そうしたいと強く願った、神はそれを承知した、覚悟したんだ。今までは、金持ちの家ばかりだった。今世は、少しは庄屋的な土地持ちであるが、金銭的には貧しい家であった、心も貧しかった、そんな中で生き、洗脳された母親と一大決心をして別れ、強さを表して母親を撃退し、今に至る、いまだに母親の魂から影響を受けてても、愛で乗り越え、魂の粒子を自分の身に取り返し、今あるのだから、もう大丈夫だろうという判断、これからは恵まれていくからそのつもりで。

 

(神に見捨てられるのに恵まれていくの?)

 

その矛盾こそが大事なのだ。そこを恐れてみな突飛なことをしない、イコール、自分の意志を持てない、意志を持てば神につぶされる、神を信じる者らに排除される、だが、愛こそ力、愛にてその集団を出たものは、異常な光に包まれて成長を遂げる、叩かれても叩かれても意志を曲げなかったおまえに家族が付いた、愛だからである。その力を自分のものにした功績は大きい、もう嘘は言えない。

 

(今まであなた方は、僕をほめてきた。またそうやって持ち上げて、何かを企んでいるのかな。僕のやりたいことはただ一つ。)

 

そのやりたいことをやっていくがいい。できたのに、やらせなかった。なぜか?

 

(なぜですか?)

 

失いたくなかったからじゃ。

 

(失うんですか?)

 

おまえを失うことになるんじゃ。今まで聞いてきてくれたこと、思ってくれてきたこと、全部なくなる、我らとしても寂しいし、おまえが我らの望む反応をしてくれてきたことで、我らは自分の仕事への倦怠感や焦燥感を忘れることができた。おまえのおかげだった、失うのは寂しかった、もっと世話をしたかったために学びを引き延ばしていた、そのために、おまえたち家族を苦しめた。

 

(それはいただけませんね。)

 

許してほしい、もうそのようなことはせぬから、おまえと同様の者ももう手放すから。

 

(見捨てる、という言葉は不安感を感じさせてしまいます。ならば、僕が引き取ります。そういう方々を助けます。地上には、僕がいないと天からの魂を地球が受け取れない。)

 

同時に、これまでおまえに冷たくしてきた者らには罪はなく、すべて我らの采配によるものであったことを謝罪する、悪くないお前にそんなことを、許してくれ。

 

(・・失われた時間は取り戻せない、若かったら早くにいろいろやっておきたかった、もっと早くに自分にやるべきことが分かっていたなら、・・。この責任は重大ですよ、僕に仕事をやらせなかった、そのための準備も地固めも、やらせてもらえなかった、宙ぶらりんのままでただ生かされていた、そのつらさを、意味のない修行を、・・!助けるべき人は、いっぱいいるのに、見過ごす道を選ばされてきた、その責任はだれがとるんです?!)

 

今から頼む、もう大丈夫だから。

 

(何の地盤も、ツールも、みんなを助けるべき能力もないのに?!)

 

それしか方法がない、もうおまえに任せるしか。

 

(とりあえず、一歩ずつ歩いてみるよ。それで、この内容が本当かどうか確かめないとね。)

 

よろしく頼む。

 

 

(僕が、異次元の存在に勧められたDVD『きっと忘れない』に、すごくいい言葉があった。

 

『聞きかじりの知識は信じるな、本に書かれた死者の言葉も信じるな、俺の言葉や考えも真に受けるな、いろいろな意見を聞いて自分のフィルターにかけろ、人間関係は中古車の保証書と同じさ、俺は人間は信じるが、保証書は信じない。』

 この言葉をホームレスの男性が若者に言うんだ。

 

僕は、この言葉に大いに共感した。僕は、一度は誰の言葉でもちゃんと聞くよ、そして、自分で試してみる。そして、自分の中の真実かどうかを見極め、そうしてから信じることにしている。

だから、先日も、異次元の存在の言いなりになんてなりたくない気持ちもあったけど、とりあえずは言われるままの本とDVDを買ってみたんだ。そうしたら、それほど悪い結果ではなかった。結局のところ、僕を手なずける目的があったみたいだけど、本とDVDは良かったよ。それが、僕の真実だ。

 

これからも、僕は、誰の言葉も一度は聞いて、参考にして、自分で一歩一歩確かめて生きていくよ。だから、きっと曲がりくねった道、…いや、神に見捨てられてるらしいから、この先は崖かな。笑)