水色のなかま

このブログはフィクションです。物語の設定は主人公の紹介をご覧ください。

これからは聞こえたメッセージをそのまま表してみるよ

いろいろ悩んだのだけど、僕は、ブログを書いている途中で思いがけなく現れた一つ、そして複数の人格と話をしてみることにした。

 これまでは、僕が知らず知らずインスピレーションで受け取っていたり、感じて知っていたことを書いていたけど、たまに自分にも、何を書いているのか分からなくなることがあったから、それならば、僕を挟まずに、受け取ったままを文章を書いていったほうが伝わるだろうという判断からだ。

みなさんには、僕以外の言葉は、書いた本人じゃない者の言葉だと思って受け取っていただきたいのだけど、こんな無責任な立場を許してもらえるだろうか。もし不具合が出たら、すぐにやめたい。僕は、僕が思ってもないことに、あまり振り回されたくない。僕は、ここに生きている人なのであり、僕は僕だから。

 

とりあえず、一歩を踏み出してみる。・・

 

 

(声が聞こえてきました。

少し、体に負担はあります。頭から肩にかけて重い鎧でも乗っている感覚と、頭の回転が少し鈍くなります。)

 

 

前回のブログの続きといこう。

おまえが求めるならば何でも叶えよう。それほどの苦労をこれまでしてきたことを、人間は誰一人気が付かず、知らないであろう。そのせめてもの報いと思ってほしい。

 

(僕は、困惑している、特別扱いをされていると思われると、他の人たちからつらく当たられるんじゃないかと心配になるので、あまりそのようなことは言わないでほしい。)

 

しかし、人間でないものは、人間に対して、(学びたいと思って地球に来ている⦅はずの⦆人間に対して)、命がけで学びを地球生活の現実に表してきているのだから、その苦労を、おまえ以外の者の苦労をもここでねぎらってやりたいがゆえに、お前に触れないわけにはいかず、お前以外に対しても、私は、同じように思っていると伝えたいんじゃ。

 

(分かりました。僕以外の人に対しては、僕も大いにねぎらってあげたいし、報われたらいいなと思っています。)

 

謙虚はいい加減にするように。おまえも、そしておまえ以外のものも。人間じゃないものは欲が無さすぎる。欲は必ずしも必要ではないが、自らの誇りと自信まで失うことはない。長い間に愛を酷使させられすぎてきたからこうなった。私の誤算だった。人間じゃないものは無欲ゆえに、人にすべてを与えてしまうから、人間の欲望になされるがままとなり、基本的な生活まで奪われる結果になった。余裕しゃくしゃくなどではなかった。苦しくて仕方がないのに、愛あるがゆえに余裕ありきに見え、人間の反骨精神をより高ぶらせた。負けろ!、と人間は、人間じゃないものに強く当たりコテンパンにした。もう、このような仕打ちを我らは我慢できない。あまりにも不公平すぎる行先に、地球も、地球そのものとも言える地球の妖精たちも、みな、人間じゃないものにより人間を学ばせるを辞めようという結論に至った。

 

具体的な話をしよう。

人間じゃないものが、人間を学ばせるためにしてきた所業は、ほとんどが無くなるから、みな、心してほしい。

人間じゃないものは、あたらしく自分自身の生活リズムや活動、趣味、考え方などを確立していってほしい、どうか他人を気にせずに、おまえたちは、放っておいてもやさしくて愛情深いから。

 

辞めていく所業を述べておく。

人間の前でその者の鏡となって付き合うこと。

人間の負の感情をその身に受け、場を和やかにすること。

ネガティブ感情を出す人物にあてがわれ、ほかの者が被害を被らないように使われること。

魂を分けて与え、その者に、その者以上の能力を発揮させること。

人間からののしられ、悪くもないのに罪悪感を抱かせられること。

スピリチュアル能力をむき出しにされ、日常生活においての雑務に集中させないようにされ、失敗を余儀なくされること。

 

すべて、人間の学びのために、人間じゃないものは、自らの意志や素質に反して、上からの指示でそれらをやらされてきた。人間を引き立てるために、人間にやる気を出させるために。

しかし、その実、これらの所業は意味がなく、もともと能力の高い人間じゃないものが地球に来た理由は、人間を助けるためであり、愛もやさしさ度数も高い者に学ぶ余地などなく、学びを助けはするが、自分が駄目とか、自分には何もできないとか、そうっいった余分な感情を植え付けられる必要はなかったはずなんだ。

人間によって人間じゃないものは駄目に見えたとしたら、それは、鏡の自分を見ているだけであり、自分が駄目なんだ。または、人間が、人間じゃないものに自分のカルマの一部を引き受けてもらって学びを甘くしてもらっているのにかかわらず、そのカルマを持つ存在を駄目だとののしり、カルマをそのもののものと印象づけ、自分が再びカルマを返してもらうことはない、そうした不正の横行が、人間の転生において次々行われ、そういうずるをするごとに人間は自らの身からカルマをなくして軽くなり、押し付けただけのくせに、自分があたかも成長したように思い込み、相変わらずに自分のカルマを持ってくれている人間じゃないものを見下し、ばかにして、さらに苦しめる、ということを代々してきた。

人間じゃないものは駄目じゃない。人間が、駄目なのだ。

今後は、もう二度とそのようなことはないと確信している。

そして、人間じゃないものよ、自らで、少しずつでいいから自分を確立せよ。

カルマは、もうどんどん本当の持ち主に届けられている、そして、魂は、どんどん自らに戻ってきている。その魂で生きよ。大きいと思うかもしれぬ。力加減が始めは分からぬかもしれぬ。しかし、少しずつ自分というものが分かり、やり方もやりたいことも、分かってくるから。

 

人間は、カルマを少しずつ戻され、再び、人間じゃないものに頼ろうとする。そういう性質の癖がつきすぎている。そして、人間じゃないものは、人間をいつも助けようとする。そういう癖がつきすぎているから、つらいをぐっとこらえて、もう金輪際は、人間のそうした嘘に騙されず、自分の道を行け。でなければ、地球は、植物は、動物は、そして弱い者たちは、愛あるのに認められないものたちは、再び、不遇な人生を歩まねばならぬ。自らをはずかしめるな、もう誇りを持って生きよ。これからは、愛なくしては生きられない世界、今まで恵まれてきた強さだけの人々に言う、我らは、今まで通りにはしないから、これまでは、人間じゃないものが自ら学びを希望して人間のカルマを自分のものとし生きたいと思っていたが、すべては彼らの深い強い思いやりだったと分かった。ここにきて、もう限界を感じている人間じゃないものの心を知り、みすみす見捨てはしない、そう結論を出した。愛あるものが、いつでも報われるが、世界なのじゃから。

 

そして、これも約束しよう。

傷ついた、若き、人間じゃないものの魂を宿す人々よ。おまえたちの将来は保証する。地球での個々個人の個性を守り、いかんなく発揮しなさい。そこに将来の居場所がきっと見つかるから。楽しいことを見つけなさい。こうしないといけない、に縛られず。好きなことを模索してみなさい。大丈夫だから、そして、そうした子どもを育てる親よ。安心してその子の良いところを見つめてあげなさい。人と比べず、内から湧き出る個性や感性をやさしく認めてあげなさい。徐々に抑えられてきたものがほとばしりはじめ、個人の個性を能力をその身に充満させられる日まで、じっくりと待ってやりなさい。時間はかかるが、必ず大成する魂しかないから。大器晩成を信じて、マイペースを楽しませなさい。

 

(それは、僕と同じように引きこもり状態の子どもたちが、大手を振って生活できる場が与えられるということですか?)

 

そうとも言えるし、そうでないとも言える。

第一、そうした子どもたちは、親の愛を育てるためにそばにいてくれるので、親に愛が宿れば自動的に自分の役割を離れて自活できる能力を持っているし、その二として言えるのは、そういう子はあまり欲を持たないから、欲を持つように見えるは親の鏡だからで、親が、人間のカルマを失い、人間じゃないものの魂だけになったなら、子どもの欲も消えるようになる、この理屈が分かるだろうか。つまりは、悪いは人間のみ、人間じゃないものは悪くない、協調し協力体制も備わっているのに対し、人間からゆずり受けたカルマで悪い改善すべき部分が見え隠れするだけで、そのカルマの持ち主は、本当は人間であり、その者の魂には悪が無く、その子どもの魂にも悪が無く、魂に才能と愛があるだけと言え、人間から離れた生活ができていけばおのずと子どもは輝いてくる、自然に自分が生かせる場所を見つけ、自然体で暮らせるようになる。いいか、もう人間を助けるな、それだけ言っておく。捨ておけ、捨ておけ。

 

(なんとなく理屈は分かりました。)